第7章:「“生きていてくれてありがとう”〜存在そのものが誰かの光になる〜」
ある日、親友からこう言われたんです。
「生まれてきてくれてありがとう」
その言葉は、胸の奥深くにじんわりと沁みて、
僕の中で止まっていた何かが、ゆっくりと流れ出していくようでした。
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■生き抜いた、その日々に
命を断とうと思った瞬間も、確かにありました。
会社に行けない、身体が動かない、心がついていかない。
それでも、なんとか踏みとどまって生きてきた。
「ボロボロだったけど、よく頑張ったね」
「今ここにいてくれて、ありがとう」
その言葉は、過去の自分へのご褒美のようでした。
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■“ただいてくれるだけで救われる”存在たち
僕自身も、誰かに救われてきました。
支援センターの人の優しさ。
SNSで届いた、見知らぬ誰かの温かいメッセージ。
そっと寄り添ってくれた奥さんの存在。
静かに微笑んでくれる娘の姿。
そして、黙って見守ってくれた両親。
その人たちは、何か特別なことをしてくれたわけじゃない。
ただ「そこにいてくれた」だけなんです。
でもその“存在そのもの”が、僕にとっての光でした。
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■自分が誰かの光になれていた時
気づけば、僕も誰かの助けになれていたみたいです。
弟のこだわりに根気強く付き合ったこと。
病気の友人の心にそっと寄り添ったこと。
SNSで出会った人に、励ましの言葉を届けたこと。
それらすべてが、「自分の存在が、誰かの力になった」瞬間。
そんな小さな積み重ねが、見えない光のリレーになっていると感じます。
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■障害という“宝物”
正直、僕は長い間、自分の障害を“価値のないもの”だと思っていました。
でも今では、こう思えるようになってきたんです。
「この障害の裏側には、“魂の長所”が眠っている」
記憶が失われても、言葉がすぐに出なくても、
その奥には、集中力の強さ、純粋さ、感受性の深さがある。
そして、この障害があったからこそ、魂的にも人間的にも成長できた。
だから今は、高次脳機能障害そのものが、自分にとっての宝だと感じています。
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■自分に伝えたい「ありがとう」
もし、今の自分が、過去の自分に言葉をかけられるなら、
そして未来の自分にも声を届けるなら――
僕はこう言います。
「生きているだけで素晴らしいよ」
「そのままで、本当にありがとう」
他人の目を気にすることも、比べることも、もう必要ない。
ただ、自分で自分に感謝できる生き方こそが、本当の豊かさなのかもしれません。
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■存在が誰かの光になる
「存在そのものが、誰かの光になる」
この言葉を聞いたとき、浮かんだのは今の自分の姿でした。
障害を乗り越えて、生き抜いている――
それだけで、誰かの希望になっているなら、それはとても幸せなことです。
そして、あなたが今この文章を読んでくれているのなら、
その“存在”もまた、きっと誰かの光になっているはずです。
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次回:
第8章「“出会いは魂の約束”〜あなたに会えて、本当によかった〜」
