第1章:「合理的配慮を求めて歩んだ道」
〜見えない壁を、静かに乗り越え続けた日々〜
「できないことがある」
「うまく言葉が出てこない」
「すぐに忘れてしまう」
そんなふうに、日常の中にある“見えない壁”に何度もぶつかりながら、
僕はこの社会の中を生きてきました。
でも、それは単なる“できなさ”ではなく、
「合理的配慮があればできること」
――そう気づいたとき、僕の人生は静かに動き始めました。
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■「甘え」と「配慮」の間で揺れた心
事故で高次脳機能障害を負ったあと、
「障害があること」をオープンにするのは、とても勇気がいることでした。
「周りに迷惑をかけたくない」
「大丈夫だと思われたい」
「できるふりをしていた方が楽かもしれない」
そんな思いが、心の奥にずっとありました。
けれど、ふとした瞬間に感じたんです。
**「これは“甘え”じゃない、“共に生きるための対話”なんだ」**と。
たとえば、言葉を選ぶ時間をもらうこと。
メモを取ることを許してもらうこと。
大事なことは繰り返し伝えてもらうこと。
急がされず、自分のペースを大切にしてもらうこと。
それらは、“助け”ではなく“支え合い”。
僕の尊厳を守ってくれる、優しさのかたちでした。
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■「求める」ことは、勇気だった
合理的配慮を“求める”という行為は、
思っている以上に、エネルギーを使います。
でもそれは、僕自身を信じる行為でもありました。
「僕にはできる力がある。その力が発揮される環境を求めているだけなんだ」と。
だから僕は、自分の状態を言葉にする練習をしました。
何ができて、何が難しくて、どんな工夫があればうまくいくのか。
そうやって少しずつ、「一緒に歩く」ことを周囲にお願いするようになりました。
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■配慮は「与えてもらうもの」ではなく「共に創るもの」
やがて気づいたんです。
合理的配慮は、「ください」と頭を下げてお願いするものではなく、
**お互いが理解し合いながら「共に創っていくもの」**だと。
そのとき、僕は初めて「一人じゃない」と思えた。
それは、大きな一歩でした。
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次回は、この道のりの先に訪れた、**「想像を超えるチャンス」**の物語へと続きます。
“チャンスは、想像もできない形でやってくる”
そう信じて歩いてきたその先で、どんな奇跡が待っていたのか――
次回も、どうぞ楽しみにしていてください。
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