梨泰院クラス
「私は私を許したかった」
―イソの変化と、僕の再生が重なるとき―
⸻
イソという人物を見ていると、
ただのツンデレでもなく、ただの天才でもなく、
**「自分を守ることに全力だった一人の少女」**だったんだと気づかされます。
そして僕自身もまた、
高次脳機能障害という名の“変化”を受け入れていく過程で、
どこかイソと重なるような心の旅を歩いてきました。
ここからは、
イソが変わっていく過程の心理変化を、
僕の人生と重ねながら、いくつかの視点から解いてみたいと思います。
⸻
【1】心理学の視点:防衛からの「開き」
イソは幼少期に母を亡くし、愛されることへの信頼を失っていました。
だから、理性的に生きる。冷静に分析する。感情を押し込める。
そのスタイルは彼女にとっての「生きる術」だったのです。
僕も、障害を負った直後は、
「自分の弱さを知られたくない」
「ちゃんとしてるように見せなきゃ」
そんな思いで、感情や不安を押し込めていた時期がありました。
人の輪の中にいても、どこか「外」にいるような感覚。
これは、イソと同じ“孤独の防衛反応”だったのだと思います。
でも、イソはセロイとの出会いによって、
少しずつ、自分の殻を溶かしはじめました。
僕にとっての「セロイ」は、
もしかすると奥さんであり、Iさんであり、
僕を“まるごと”受け入れてくれた人たちだったのかもしれません。
⸻
【2】スピリチュアルの視点:魂の目覚め
イソの魂は、
「誰にも頼らず、独りで立つ」ことを選んできた強い魂。
けれど、本当の魂の成長は、
**「誰かを信じること」**から始まる。
僕もまた、障害というきっかけがなければ、
人を頼ること、人に支えられることの意味を深く理解できなかったと思います。
障害とは、魂が「変容」するタイミング。
イソが「愛されてもいい」と思えた時、
彼女の現実が変わっていったように、
僕も「このままでも生きていい」と思えた瞬間、
世界がやわらかく、あたたかく変わっていきました。
⸻
【3】“ある”の世界の視点:できない私が、必要だった
イソは、自分の未熟さや未完成さを恥ずかしいと思っていた。
でも、仲間と過ごす中で少しずつ、
「そのままの私で、いいんだ」と思えるようになっていきました。
僕もまた、
できなくなった自分、忘れてしまう自分を「ないもの」として否定していた。
でも、“ある”の世界では、
できない自分も、うまく話せない自分も、全部「ある」。
それが愛おしい存在として、宇宙に祝福されている。
失ったものではなく、
気づけたことに意識を向けた時、
人生の景色はすべてギフトに変わりました。
⸻
【4】鏡の法則:イソと僕の心は、映し鏡だった
イソは、セロイという鏡を通して、
「こんな人になりたい」と思える未来の自分を見ていた。
僕もまた、周囲の人の中に、
自分の可能性や、忘れていた優しさを見てきました。
できないことで落ち込む自分も、
誰かに励まされた時、ふと「優しさって、こんなにあったんだ」と気づく。
人は、他人を通してしか、自分を見れない。
だから、人と関わることで、自分の魂が育っていく。
イソと同じように、
僕も「他人の存在が、自分を育てる力になる」と知りました。
⸻
【5】量子の視点:意識が変われば、未来が変わる
イソは、信じる方向に意識を向けた時、
彼女の現実が変わっていきました。
僕もまた、
「自分はできない」と思っていた時、何も変わらなかった。
けれど、「自分にはできる未来もある」と感じた時から、
必要な人、必要な出来事が次々と引き寄せられるようになった。
これはまさに、量子の法則。
どこに意識を向けるかで、現実はパラレルに分岐する。
僕たちは、思考と感情という“波動”で、
日々、人生の方向を選んでいるのだと思います。
⸻
【結び】
「自分を許すこと」からすべては始まる
イソが変わった理由。
それは、誰かに受け入れられたから。
でももっと大事だったのは、
彼女自身が、自分を許したからだった。
僕もそうだった。
誰かに受け入れられた日、
それでも「こんな自分じゃダメだ」と思っていたのは、自分自身だった。
だけど今は、こう思える。
「僕は僕でよかった」
「忘れることも、できないことも、僕の一部だった」
「そのすべてが、僕を“本物”にしてくれた」
イソの物語は、
僕にとっても、再生の物語だった。
⸻
この世界には、
強がっていたあの頃の僕にも、
たったひとつだけ“できること”があった。
それは——
「生き続けること」
変わることを恐れずに、
今日もこの瞬間の僕を、まるごと肯定してあげたい。
そしてその姿を、
誰かがきっと、イソのように見てくれている。
⸻
