【タイトル】

チャン・グンウォンという鏡に映った僕
―魂の成長と“ある”の世界から見る高次脳機能障害の人生―


梨泰院クラスの登場人物の中で、
正直なところ、もっとも「嫌われ役」に見えたのは間違いなくチャン・グンウォンだったと思います。

けれど、僕は彼の姿に、
どこか**“自分の影”**のようなものを感じていました。

その「影」は、
高次脳機能障害を抱える中で見た、
“できない自分”に対する苛立ちや、
“愛されなかった自分”という誤解にも似た痛み。

グンウォンの魂の叫びを、
他人事とは思えなかったんです。


■「魂の未熟さ」とは何か

グンウォンは、父の期待に応えることが生きる意味になっていた。
自分の“意志”や“本質”ではなく、
外の評価、立場、力にアイデンティティを預けていた。

その姿はまるで、
「できていた頃の僕」と重なって見えました。

記憶を失う前の僕は、
勉強もスポーツもできて、周囲に頼られ、
“ちゃんとした自分”であることに安心していた。

でも、それが失われたとき——
僕の中にも、「こんな自分はダメだ」という怒りが湧いてきた。

あの怒りは、
誰かへのものではなく、
愛されなかったと“感じてしまった”自分自身への怒りだったんだと、
今なら思えます。

グンウォンがなぜあれほどまでに暴れたのか。
その裏にある“愛を求める痛み”は、実はとても人間らしいものだったのかもしれません。


■パラレルワールドの視点

——もし、グンウォンが別の選択をしていたら?

もしグンウォンが、
ほんの少しでも「自分の心」に正直になれたら?
父の言葉ではなく、「魂の声」に耳を傾けられたら?

彼の人生は、きっと別のパラレルワールドに枝分かれしていたはず。
そこでは、自分の弱さを認め、
パク・セロイに対して「ごめん」と言えた未来があったかもしれない。

僕もまた、高次脳機能障害という現実を前に、
「悔しい」「情けない」「どうして自分が」と、
何度も“怒り”の選択をしそうになった。

でも——
そこから「赦し」や「受容」を選んだとき、
人生の流れは変わっていったんです。

心の波動が変わると、見える現実が変わる。
それが、パラレルワールドの本質なのだと思います。


■すべては良くなる過程

グンウォンの人生は、
遠回りして、たくさんの失敗をして、
最後には孤独と向き合うことになりました。

でも、それさえも——
魂が成長するための「過程」だったのかもしれません。

彼の物語は、まだ終わっていない。
もし物語の先が描かれるなら、
彼はきっと、自分の過ちと向き合い、
新しい人生を歩み始めるはずです。

なぜなら、どんな魂も、最終的には“光”へ向かうから。

僕自身も、高次脳機能障害という“闇”をくぐって、今、「優しさの再発見」という光の中を歩いている。

今だからわかる。
すべては良くなるための途中だった。



■“ある”の世界の視点

——この障害があったからこそ、僕は僕になれた

「なぜ、こんな障害を?」
「なぜ、こんなに苦しまなきゃいけないの?」

何度もそう思った。
でも、“ある”の世界から見れば、
その問いはまるごと、光に包まれていた。

この障害が「ある」こと。
失う経験が「ある」こと。
それによって、
僕は“ほんとうの自分”と出会う旅を始めることができた。

グンウォンも、
傷ついたからこそ、本当の自分に近づける。

苦しみの中にこそ、
魂の扉が隠されている。



【最後に】

あなたの中の“グンウォン”を、抱きしめてあげてほしい

僕の中にも、
忘れられることが怖くて、
見捨てられるのが怖くて、
強がってしまう“グンウォン”がいた。

でも今は、その存在ごと、優しく抱きしめている。

誰の中にも「影」はある。
でも、それを受け入れた時、
人生は驚くほど、静かに変わっていく。

だから今日、この記事を読んでくれているあなたにも伝えたい。

あなたの中の、強がっていた自分も、
 悔しさに震えていた自分も、
 ぜんぶ大丈夫だよ。
 それも含めて、あなたという“光”なんだ。

魂は、失敗を通して、深く輝いていく。
人生は、すべて「良くなる過程」にある。

——それが、
グンウォンと僕がくれた、
魂からの大切なメッセージ。