【高次脳機能障害と魂の成長】

—できないことの中に、ほんとうの“目覚め”があった—


【1章】「できた自分」が崩れた時、魂の扉が開いた

かつての僕は、“できる人”だった。
記憶力が良くて、運動神経がよくて、人の輪の中心にいた。

でも——
ある日を境に、世界が変わった。

記憶が抜け落ちていく。
言葉が出てこない。
目の前の出来事が、すぐに遠ざかってしまう。

周りの時間だけが猛スピードで流れていくのに、
自分だけが取り残されていくようだった。

「僕は、壊れてしまったのか?」
「もう、何の役にも立たないのか?」

そう思った時、
僕の中の“人間としての自信”は崩れた。

でも、そこからだった。
“魂”としての旅が始まったのは。


【2章】「失うこと」が教えてくれた、“ある”という豊かさ

忘れてしまう。
思い出せない。
計画が立てられない。

そんな日々の中で、
ふと気づいた。

——今しかない。
——この瞬間しか、生きられない。

それは、
これまで考えすぎていた僕が、
ようやく**“いまここ”に根づいた瞬間**だった。

予定も未来も保証もいらない。
この瞬間に、「ありがとう」と言える心。
それだけが、真実だった。

できないことで、
魂が生きはじめた。


【3章】「助けてもらうこと」で、愛を学んだ

自分でできていた頃は、
人に頼ることが苦手だった。
弱みを見せることが恥ずかしかった。

でも今は、
できないから、助けてもらう。
言葉が出ないから、気持ちを感じてもらう。

そこにあったのは、
人のやさしさに触れる日々。

僕のままを受け入れてくれる人。
できない僕を見捨てずに、そばにいてくれる人。
それがどれほどの“愛”かを、
障害があったからこそ、知ることができた。

そしてその愛を、今度は僕が渡す番だと感じている。


【4章】「間に合わない」日々の中で、魂は成熟していく

世の中のスピードには、もうついていけない。
考えている間に話が終わってしまう。
言いたいことを探しているうちに、場面が変わってしまう。

でも、
その“ゆっくりさ”の中に、
魂の成熟があった。

言葉にならない時間の中で、
僕は“感じる力”を育てていた。

目の前の人の声のトーン、表情、沈黙の温度。
そういうものから、心の真実を汲み取る力が育っていった。

できることは減ったのに、
見える世界は深くなっていった。


【5章】「高次脳機能障害」は、“高次の魂の扉”だった

この障害の名前は、「高次脳機能障害」。
けれど僕にとっては——

高次の視点で人生を見るための、“魂の目覚め”だった。

人の優しさの奥行き。
感情の震え。
存在の本質。

そんな“見えないけれど確かなもの”を、
僕はこの状態だからこそ、知ることができた。

ただの記憶障害じゃない。
これは、魂の感受性を開いていくための、神様からのチューニングだったのかもしれない。


【6章】優しさの再発見と、魂の再誕生

僕は、たくさん失った。
でも、そのぶん、
“優しさ”という宝物を拾い集めてきた。

できないことにイライラする日もある。
伝えられなくて悲しくなる日もある。

だけどそんな時こそ、
僕の魂は“より深く目覚めていく”。

傷ついたぶんだけ、
人の痛みに寄り添えるようになる。

迷ったぶんだけ、
誰かの道しるべになれるようになる。

これは「病気」ではなく、
“魂の再誕生”という旅だった。



【終章】あなたへ

もし、あなたも何かを失って
「もう終わりだ」と感じているなら、
どうかこの言葉を受け取ってください。

終わりではなく、それは始まり。
あなたの魂が、本当に目覚めるタイミングなんです。

高次脳機能障害を持って生きることは、
魂の成長をまっすぐに歩くということ。

それは決して、
“かわいそう”なんかじゃない。
むしろ、
もっとも尊く、美しい進化のかたちなのです。