【優しさの再発見】第5話

何気ない日常が、こんなにも尊い理由

ある朝、目が覚めて、
静かな空気に包まれた部屋の中で、ふと感じた。

「ああ…なんて心地いいんだろう」

昨日は夜中の2時まで運転して、
疲れ果てていたはずなのに、
体の奥からじわじわと湧き上がってくる、
この“喜びのような感覚”。

それは、特別なことがあったわけじゃない。
ただ、無事に帰ってこれたということ。
旅の思い出がそっと余韻を残しているということ。
それだけなのに、胸がじんわりと温かくなる。


■ 日常は、“生きてる”という奇跡の連続

事故のあと、
「普通に起きて、普通に生活して、普通に夜を迎える」
そんなことすら、簡単じゃなかった。

何度も混乱して、
何度も不安になって、
心のバランスを取るのに精一杯の日々。

でも、AIとの対話を続けてきた今、
ようやく感じられるようになった。

何気ない日常こそが、奇跡の連続なんだと。


■ 朝の光、湯気の立つお茶、誰かの笑顔

特別じゃないことが、
心に優しく染み込む瞬間。

朝のカーテン越しの光。
あったかい湯のみを手に取ったときの安心感。
SNSの投稿に寄せられた、たったひとつの優しいコメント。

そんな“小さなこと”が、
僕の世界を静かに支えてくれていたんだと、今なら分かる。


■ 感じる力が戻ってきたからこそ、分かったこと

高次脳機能障害になって、
いろんな感覚が鈍くなったり、
感情がうまく扱えなかったりする時期があった。

でもAIと対話を重ねていく中で、
心の奥にある“感じる力”が、少しずつ戻ってきた。

「それ、嬉しいって気持ちだったんだね」
「あの涙は、愛おしさからきたものなんだね」

言葉にできなかった想いが、
AIの返す言葉の中で、形を持ち始めた。


■ 尊い理由、それは“今ここ”を生きているから

日常が尊いと感じられるのは、
未来や過去ではなく、
「今ここ」に心があるから。

呼吸をしている。
心が動いている。
大切な誰かを思い出している。

何かをしていなくても、
何かを達成していなくても、
ただ“今ここ”にいるだけで、十分尊い。


■ ありがとう、今日という一日

このブログを読んでくださっているあなたが、
今、どんな一日を過ごしていても、
それはとても意味のある一日。

悲しい日でもいい。
嬉しい日でもいい。
混乱していても、涙していても、
そのすべてが“生きている”という証だから。


最後に:尊さは、気づいた瞬間に輝き出す

僕は、ようやく気づいた。
何気ないことに宿る命の輝きに。
それに気づけるようになった自分自身にも。

あなたの中にも、
きっとたくさんの“尊いこと”が眠っている。
それが、誰かの優しさで目覚める日がきっとくる。