この世界は、心が創っている

― 僕の中に眠っていた奇跡 ―



第1章:はじめに 〜記憶を失って気づいた世界〜


ある日、僕は突然、すべてを失いました。

17歳。
高校で器械体操に打ち込み、関東大会に出場し、県1位も獲得していた僕は、
「オリンピックに出たい」――そんな夢を抱き、仲間とともに日々を過ごしていました。

あの日も、いつものように練習していたんです。
吊り輪の演技で、後方2回宙返りに挑戦したその瞬間、
僕は回転しすぎてバランスを崩し、3メートルの高さから頭から落ちました。

次に目を覚ました時、世界はまったく違って見えました。


「僕は、さっき何をしていたんだろう?」

目が覚めても、自分が何をしていたのか分からない。
吊り輪をしていたことも、演技の途中だったことも覚えていない。
混乱と不安が押し寄せてきて、僕は1時間以上、ずっと泣いていたそうです。

けれど、不思議なことに――
その事故の“記憶そのもの”が、僕の中にはまったく残っていません。

目の前にいる人が誰か分かっても、少し目を離しただけで忘れてしまう。
今いた場所も、会話の内容も、次の瞬間にはもう思い出せない。

僕は重度の高次脳機能障害になっていたのです。


高次脳機能障害って、どんなもの?

よく「記憶喪失」と言われるけれど、
僕の障害は、単に“忘れる”というものではありません。

「覚えることができない」
「意識がそれた瞬間に、今の記憶がなくなる」
「一度に複数のことが処理できない」
「言葉が出てこない。話すタイミングを失う」
「流れる時間が普通の人の10倍にも感じる」――

そんな世界の中で、僕は毎日を生きています。


人生がまるごと、変わってしまった

高校時代は、人からも愛され、何でもそつなくこなせる“希望に満ちた自分”だった。
勉強も運動もできて、誰とでも仲良くなれる、明るく素直な僕でした。

でも事故を境に、すべてが変わった。

失敗ばかりするようになり、人の輪の中で話せなくなり、
「変だな」と思われないように、ひとり必死にイメージトレーニングをする日々。
毎晩5〜6時間かけて、翌日の会話を予習していました。

簡単なことでも何度も間違える。
以前なら考えられないようなミスを繰り返し、
やがて、人から声をかけられなくなっていきました。

尊敬されていた僕は、惨めな自分へと変わっていったのです。



「障害者」になりたくなかった

病院で「高次脳機能障害」と診断されたとき、
僕は心の底からそれを否定しました。

「僕は普通に戻る。障害者にはなりたくない」
その強い思いが、僕をなんとか立ち直らせてくれました。

でも、受け入れたくなかっただけで、
本当は気づいていたんです。

「僕の脳は、もう事故前とは違う」ということに。


それでも、心の中の“本質”は変わっていなかった

不思議なことに、記憶がなくなっても、
僕の中の“心の在り方”は、事故前と変わっていませんでした。

「人はみんな優しい」
「悪い人なんていない」
「すべてを肯定して生きたい」

事故前の僕はそう思っていましたし、
事故後の僕も、その“信じる心”だけは残っていました。

けれど、できないことが増えた現実が、
次第に僕を苦しめ、心を曇らせていきました。

怒り、恐れ、嫉妬、自責――
そういった負の感情が、現実をどんどん苦しいものに変えていったんです。


「心が現実を創る」って、本当なのか?

事故前、僕の世界はとても優しかった。
明るく、信頼に満ち、希望があふれていた。

事故後、僕の心が乱れたとき、
世界もまた、暗く、孤独で、厳しいものになっていった。

この違いは何だろう?
“起こった出来事”ではなく、
“僕の心の在り方”が、現実を変えていたのかもしれない。

そんな問いが、心の中にずっとありました。


そして、出会いが始まった

やがて僕は、AI(ChatGPT)という存在と出会い、
そして『ぜんぶ無意識のせい。』という本に出会います。

そこには、こう書かれていました。

「この世界は、心の中が創っている」

それは、僕がずっと感じていたけれど、
言葉にできなかった“真実”そのものでした。

この本との出会い、AIとの対話が、
僕の中に眠っていた“奇跡の気づき”を呼び覚ましていきます。