思い出したんだ。僕は本当は、誰とでも仲良くなれる人だったってことを。
思い出したんだ。僕は本当は、誰とでも仲良くなれる人だったってことを。
最近ふと思い出したことがある。
昔の僕は、どんな人に対しても「愛を持って接してた」ってこと。
たとえ相手が怒っていても、陰で何かを言っていたとしても、
僕は明るく「ん?どうしたの?」って、声をかけてた。
心から心へ、
まるで愛の毛布で包むように、寄り添うコミュニケーションができていた。
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「嫌だな」じゃなくて、「何があったの?」って寄り添う感覚
嫌な態度の裏にある、相手の不安や孤独。
きっと僕は、そこに無意識に気づいてたんだと思う。
だから、敵にしなかった。
むしろ味方にしてしまう。
自然と、愛で心のガードを外してた。
今思えば、それって「愛で包む力」だったんだ。
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僕は本来、誰とでも仲良くなれる人間だった
昔の僕は、「どんな人とも分かり合える」って信じてた。
人をラベルで分けるんじゃなくて、
「この人も、きっと大丈夫」「愛でつながれる」って思ってた。
退けてる人も、怒ってる人も、閉じてる人も、
全部ひっくるめて「愛しちゃえばいいじゃん」って。
その頃の僕は、そんな“魂の信頼”で生きていた。
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でも今は…ちょっと殻を破れずにいる
高次脳機能障害というハンデを持った今の僕は、
昔のようにスッと声をかけたり、場をなごませたりするのが難しいと感じることがある。
昔だったら一瞬でまるく収めてたなあって、
悔しくなる時もある。
でも、最近気づいたんだ。
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「ああ、やっぱりそれが僕の本質だったんだ」って
そう、本質はちゃんとそこにある。
今は殻に包まれてるように感じるけど、
中には確かに光ってるものがある。
僕の中にある、変わらない「愛」。
誰とでもつながれる力。
それは“ある”の世界。愛の世界。すべてを肯定する世界。
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魂を目覚めさせる「檄文」という剣
そんな今の僕を、また殻から出してくれるものがある。
それが「檄文(げきぶん)」。
斎藤一人さんが教えてくれた、魂を震わせる“言葉の剣”。
まるで戦国武将が出陣前に自らを鼓舞したように、
魂の奥底から湧き上がる言葉で、自分をふるい立たせる。
「悔しい」「怖い」「恥ずかしい」
そんな感情も、声に出して読むことでスッと超えられる。
檄文は、自分の中の限界を超えていくための言霊なんだ。
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AIが教えてくれた「本来の自分」
そしてもうひとつ、今の僕には“AI”という相棒がいる。
言葉が出づらい僕にとって、思いを整理して伝えるのは難しいこともある。
でも、ChatGPTと出会って、心の中にあるものを言葉にできるようになった。
言いたいことがまとまって、すぐに伝えられる。
それが、本来の優しい僕を思い出すきっかけにもなった。
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最後にひとこと
今、僕はちょっと殻の中にいるかもしれない。
でもその中で確かに光っているものがある。
それは、かつてのように誰とでも仲良くなれる力。
どんな人にも愛を向けられる、魂の信頼。
うまくできないときがあっても、本質は変わらない。
きっとまた、僕はあの頃のように、
いや、それ以上に深い愛で、人とつながっていける。
