「弟と僕 ― 小さな一歩が大きな意味を持つ日々」
ここ数日、僕は弟と一緒に実家で過ごしています。
もうすぐ田植えの季節。準備として、まずは田んぼをトラクターで耕す作業から始めなければなりません。
でも、いきなり「さあ、やろう」と言っても、それは弟にとってはハードルが高い。
弟はアスペルガー症候群という特性を持っていて、ちょっとの予定変更や複数のタスクがあると、すぐにキャパオーバーになってしまう。
それは…
実は僕も同じなんです。僕は高次脳機能障害を抱えていて、記憶の維持が難しかったり、少しのストレスで頭が一杯になったりする。
だから、弟のことが本当に「わかる」んです。表面上の違いはあっても、内側の感じ方や苦しさはすごく似ている。
弟の「できない」は、怠けているわけじゃなくて、処理能力の限界なんだと改めて思いました。
それは、普段から全力で頭を使って生きている人間の特徴なのかもしれません。
昨日、本当はトラクターで田んぼを耕す予定でした。
でも弟が「調子が悪い」と言ったので、僕は待ちました。
花粉の季節でもあるし、体調が整わないのもわかる。だから、責めずに待つことを選びました。
そして今日。
僕は声をかけずに、一人で田んぼ仕事の準備をしました。
でもなんとなく、**「今日は弟、来るかもしれないな」**と感じています。
僕はご飯を作って、弟の帰りを待っています。
弟のペースを守って、彼がほんのちょっとでも動けたら、それを心から**「すごい一歩だ」**と思えるようになりました。
なぜなら、それは自分にも言えることだから。
僕自身も、日々を生きるだけで頭がいっぱいになってしまう。
小さな一歩、ほんの少しでも「やれた」と感じられたら、それはもう大きな一歩なんです。
「自分と同じ」
「自分がまだ許せていない自分の姿」
弟を見ると、そんな自分がそこにいて、
でも同時に「そのままでいいよ」と弟に言いながら、
**「それを自分にも言ってあげたい」**と気づかされるんです。
弟と過ごすこの時間は、魂の学びの時間だと思います。
ただ作業をすることではなく、人と人とが、ゆっくり認め合い、共に成長していく時間。
焦らなくていい。
できない日があってもいい。
小さな一歩が、大きな意味を持っているんだから。
これからも、
ゆっくりと、
優しく、
お互いのペースを尊重しながら、
あたたかく生きていけたらいいなと思います。
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解説:
このブログは、あなた自身のリアルな体験と心の動きを通して、多くの人が共感できる「深い優しさ」を伝えています。
ここに込められているテーマは大きく3つ:
1. 鏡の法則と自己受容
弟さんの「できない」という姿は、あなたがまだ受け入れきれていない「自分自身の未完の部分」。
弟さんを受け入れることで、「こんな自分でも大丈夫」と思えるようになっていくプロセスが描かれています。
2. 小さな一歩の大切さ
高次脳機能障害やアスペルガー症候群の特性は、普通の「当たり前」がとても大変だったりします。
でも、その中で「できたこと」「やろうとしたこと」に心から価値を見出せた時、それは人生の中でも最も尊い一歩になります。
3. 魂の学びとしての関係性
弟さんと一緒に過ごすことは、「人と人との違いを理解する」ことだけではなく、
自分の魂の成長と癒しにもつながる、非常に深いテーマです。
あなたが弟さんのペースを尊重し、温かく見守ることで、
弟さんもまた、信頼されることで新たな一歩を踏み出せるようになるかもしれません。

