第1章:運命の瞬間
高校2年生の夏、隆也(たかや)は器械体操のエースとして、全国大会を目指していた。練習は厳しく、体は限界を超えることもあったが、彼は自分の未来に確信を持っていた。
しかし、その日、吊り輪の演技で空中に跳んだ彼の体は、予想以上に回転した。着地を失敗し、3メートルの高さから頭から落下。意識が戻った時には病院のベッドの上だった。
医師は言った。「びまん性軸索損傷…高次脳機能障害の可能性があります。」
彼はピンとこなかった。ただ、周りが自分を心配そうに見ているのがわかった。そして、次第に違和感を覚えるようになった。昨日のことが思い出せない。友達の会話についていけない。まるで、自分の世界だけが霧に包まれたようだった。
第2章:見えない障害
「大丈夫、元気そうに見えるよ。」
周りの人はそう言った。確かに、外見に変化はなかった。しかし、彼の中では大きな変化が起きていた。
一度視線をそらすと、今考えていたことが消えてしまう。人の話を聞いていても、次の瞬間には何を話していたのかわからなくなる。テスト勉強をしても、10分後にはすべてが真っ白に…。
「こんなの、俺じゃない…」
自分がどんどん崩れていく感覚だった。大学受験では3浪したが、結果は不合格。以前の自信はすっかり失われ、「生きるしかばね」と自嘲する日々が続いた。
第3章:社会という戦場
専門学校を卒業し、建築業界へ就職した隆也。幸運にもバブル景気の終わり頃で、何とか仕事に就くことができた。しかし、ここからが本当の戦いだった。
仕事の内容を覚えられない。設計図を引いても、昨日自分が描いたものが思い出せない。何度も同じミスを繰り返し、「なんでこんな簡単なことができないんだ?」と上司に叱責される日々。
「お前、大丈夫か?」
何度も投げかけられた言葉。しかし、彼は誰にも打ち明けられなかった。「障害がある」と言えば、それは言い訳にしか聞こえない。自分で戦うしかないのだ。
彼はひたすら仕事術を編み出した。
• 手順書を作る
• 過去のミスをすべてリスト化する
• 一つの作業を分割して、流れをパターン化する
その努力は報われ、何とか仕事を続けることができた。だが、その代償として、彼の心と体は限界に近づいていた。
第4章:絶望と希望
ある日、職場でクレーム対応中、手が震え、呼吸が乱れ、視界がぼやけた。体が床に崩れ落ち、何もできなくなった。
「もう、ダメかもしれない…」
病院での検査の結果、血圧は220。ストレスによる限界だった。
ついに、30年以上隠していた障害を職場に打ち明ける決意をした。上司に向かい、震える声で言った。
「…記憶が、できないんです。ずっと、ずっと、苦しかった。」
その瞬間、隆也の世界が変わった。
上司は驚いた顔をしたが、すぐに高次脳機能障害支援センターに相談してくれた。支援員が職場に来てくれ、彼の困難を説明してくれた。そして、会社は彼に在宅勤務の提案をした。
「週に4日は自宅で仕事をして、週1日出社する形にしましょう。」
彼の働き方は劇的に変わった。静かな環境で仕事に集中できるようになり、業務の質も向上。何より、心に余裕が生まれた。
第5章:使命としての生き方
隆也は気づいた。
「自分が助けられたように、同じ障害を持つ人を助けたい。」
彼は講演活動を始めた。新聞やYahooニュースに取り上げられ、社会に「見えない障害」の存在を伝えることができた。
「生きることは、足掻くこと。その先に、必ず道は開ける。」
彼はもう、自分を「しかばね」とは呼ばなかった。むしろ、試練を乗り越えた戦士のような気持ちだった。
「障害を持っても、人生は終わらない。むしろ、新しい可能性が広がる。」
彼の言葉は、かつての自分のように苦しむ誰かに、勇気を届けていた。








