5日午前6時45分頃、貝塚公園付近の駐車場で男性のものと思われる遺体の一部を通行人が発見した。遺体は頸部の損傷が激しく、即死の模様。現在、警察では遺体の身元の確認と、見つかっていない下半身の捜索に全力を挙げて取り組んでいる。
5月8日 午前8時50分
三上洋介が死んだ。
今朝、彼の兄である俊介から電話がかかってきてその事実が知らされた。
3日ほど前に見つかった身元不明の切断死体が彼のものだった。遺体の損傷が激しいために身元の確認は困難を極めると思われていたが、新たに見つかった下半身のポケットに生徒手帳が入っていたのだという。
「不幸中の幸いだった」という俊介の声は乾いていた。まだ、気持ちの整理がついていないのだろう。無理もない。
俺は不思議なことに、知らせを聞いても心に波風は立たなかった。冷静に客観的に事実を見つめる自分がいる。友人が死んだというのに、涙ひとしずく流れることもない。我ながら薄情な気もするが、どうしようもなかった。驚けない。悲しめない。
心の何処かで、この事件を予感していたのだろうか?
そうかもしれない。
洋介は何かを隠していた。
事件前日に会ったときも、何かを。
5月4日 午後7時50分
ようやく数学の補習が終わった! と外を見るとすでに日は沈み、街灯が煌々と輝いていた。周りを見渡すと、戻ってくると言っていた数学教師はどこにも見あたらない。信じられない話だが、俺のことを忘れて帰ってしまったらしい。
「マジかよ……」
職務怠慢もここに極まれり。まぁ、いたところで特に良いこともないのだが。というか、いない方が後で文句を言って次の補習を免除してもらえるかもしれないから、良かったのかもしれない。
俺は教室の電気を消すと、玄関へ向かった。途中、階段を足早に下りていく教師とぶつかった。「ひっ」と小さな悲鳴を漏らしたが、相手が俺だと知ると咳払いをして去っていった。俺の顔が幽霊にでも見えたのだろうか。
確かに、辺りは薄暗く、明かりと言えば非常灯のぼんやりとしたものぐらいだ。大抵の人間はそんな夜の学校に不気味さを感じるのだという。
ただ、俺にはそれがよくわからない。暗いと言っても学校は学校だ。何が違うというのだろう。
玄関に着いた。見ると、ちょうど靴を履き替えている男子生徒がいた。薄暗くて最初はよくわからなかったのだが、近づいてみるとそれが良く知る人物であることがわかった。
三上洋介だ。
「よう、洋介。今帰りか?」
中学まではよく遊んでいたのだが、最近はつき合いが悪い。学校が終わると、いつのまにかいなくなっている。こうして、声をかけるのも久しぶりだった。
「……」
「洋介?」
「……」
洋介は喋らない。じっと俺を見つめるだけだ。
「おい、どうしたんだ?」
「……あ、黒橋君。何か用?」
「ん……、いや、別に用事って程じゃないけど。今帰りか?」
「うん。そうだよ。今日はちょっと調べるものがあってね。さっきまで図書室にいたんだ」
「ふぅん。じゃ、さ。帰り軽く食ってかねぇ?」
「ごめん……。せっかくだけど、今日は用事があるんだ。大事な用事が……」
「……なぁ、お前最近何やってるんだ? 高校入ってからちょっとおかしいぞ」
洋介はクスリと笑った。妙に顔が青白く見えるのは気のせいだろうか。
「別に変わってないよ。黒橋君の考え過ぎさ」
「そう……か?」
そんなはずはない、とは何故か言えなかった。得体の知れない空気が、洋介の周りを包んでいた。
「じゃ、僕行くね」
そう、洋介が踵を返したときだった。
ゴトン。
洋介の鞄から、四角いものがこぼれ落ちた。地面に衝突して鈍い音を立てる。
「何だ? これ?」
「返せっ!!!!!!」
玄関に怒鳴り声が響いた。横から伸びてきた手が、その『箱』のように見える物体を乱暴に奪い取っていく。
「え……?」
「あ、ご、ごめん。これ、すごい大切なものなんだ。壊れたら困ると思って……」
「あ、あぁ。俺の方こそそんな大切なもんとは知らずに無造作に扱って悪かったな……」
「気にしないで。じゃあ、バイバイ」
あたふたと玄関を出ていく洋介を俺は黙って見送った。
何故か、もう俺の知っている洋介には会えないような予感が心をかすめた。
5月9日 午後7時40分
洋介のお通夜はひっそりと行われた。親族もすでに帰り、家には俊介と両親しかしない。両親はショックで寝込んでいるために、葬儀の手続きなどは俊介がほとんど取り仕切っているらしい。
「太郎、今日はありがとな。洋介のために来てくれて」
「いえ、そんな」
「洋介も喜んでるだろ。お前たち仲良かったしな」
「……その、俺は……」
胸が痛む。高校に入ってから、俺たちはほとんど会話らしい会話をしていない。もう少し気をつけていれば、あの日の事件も防げたのではないか、と思うと悔やまれた。
「聞いてるよ。最後に会ったのがお前らしいってことは。事情聴取も行ってきたんだろ?」
「ええ」
「……なぁ。俺が言うのも何だが、気にするな。仕方がなかったんだ」
俊介は気持ちを切り替えるように、言った。
「あぁ、そうだ。洋介の部屋しばらくしたら片づけなけりゃいけないから、何か欲しいものがあったら持っていってくれないか。……形見の代わりにさ」
「……はい」
それ以上、何も言うことは出来なかった。気丈に振る舞っていても、俊介自身かなりの疲れているようだった。目の下にも濃い隈が見える。
俺は黙ったまま、階段を上がった。
洋介の部屋整理整頓され、小綺麗だった。まるでいつ死んでもいいように片づけていたみたいだ、と一瞬浮かんだ考えを慌ててうち消す。
「形見、か……」
初めて形見をもらう人間が、同世代の友人だなんて思いもしなかった。実感として沸いていなかった『死』が、頭の中にしみこんでくる。
「本当に死んだんだな……洋介」
視界が少しぼやける。事件の前日、最後に笑った洋介の顔。きっと、形見を見るたびに、俺はその顔を思い出すのだろう。
「……おや?」
ふいに、視界の片隅に見覚えのあるものが映った。
「あれは……、洋介が持っていた……」
『箱』だ。あの日はよく見えなかったが、今改めてみると、『箱』としか言えないものだった。
漆黒で、大きさは握り拳より少し大きい。上に小さな穴が開いているのは貯金箱を連想させたが、どの硬貨も入りそうになかった。
『箱』は部屋の中で異様な存在感を放っていた。
「太郎ー、決まったか?」
「あ、はい……この箱……」
「ん? ああ、それは事件の後洋介宛に送られてきたんだ。通販で買ったんじゃないか。そういう不気味なの好きだったから」
「いや……これは……」
「気味が悪いし、持っていってくれ。ただ、形見には……」
「あ、いえ。このノート貰っていって良いですか?」
俺は、咄嗟に机の上にあったノートを手に取った。
「洋介の書いていた字、覚えておきたいし」
「そうか。じゃあ、両方袋に入れてやるよ」
結局、その『箱』を洋介が事件前から持っていたことを言えなかった。いや、敢えて言わなかったのかもしれない。
俺は『箱』にひどく惹かれていた。