セルビアの特別支援学校では、小5から第二外国語を学習します。
 
第一外国語は英語なので、第二はドイツ語、フランス語、イタリア語、ポーランド語などから選択します。
 
本校は小さな町で、ドイツ語しか教える先生がいないので、ドイツ語を選択しています。
 
なぜ特別支援学校で外国語を2つも?という疑問が湧いてくると思います。
 
それは、セルビアの特別支援学校が通常学校の教育課程に準じなければならないからです。
 
2009年以前は、特別支援学校は聾学校、盲学校、知的障害学校など障害種別に分離され、教育課程もそれぞれ独自に編成されていました。
 
ところが2010年以降、現在のように法制度が変更されました。
 
国連やEUはインクルーシブ教育を積極的に推進しており、EU加入を目指しているセルビアにとって、EUの教育政策に追随するのはやむを得ない判断だったんだろうと思います。
 
この判断によって、小1から第一外国語、小5で第二外国語の履修に加え、他教科においても通常学校の全ての教科を基礎レベルにまで落とし込んで学習するよう義務付けられています。
 
さらには個別指導計画の各教科の目標(到達規準)も通常学校の規準となるので、特別支援学校に通う子どもたちのほとんどは目標未達ということになってしまいます。
 
同僚の教員たちに話を聴くと、個別指導計画の評価を書く度にやるせない感情を抱いてしまい、本当は一人一人ができたことや成長したことをたくさん書きたいのにと漏らしていました。
 
僕も現場にいる人間として、第一外国語の英語はまだしも、第二外国語のドイツ語をマスターできる子どもが特別支援学校に一体何人いるんだろうと疑問を抱えながらサポート当たっています。
 
とは言え、そういった指導や評価に困っている教員をサポートするのも僕の役割ではあるので、
 
英語やドイツ語に加え、全ての教科を本校の子どもたちがより楽しく理解しやすい指導法や教材を提案していこうと思っています。
 
 
一方、日本では国連のインクルーシブ教育推進勧告を無視して、障害別の特別支援学校を維持し、学校独自の教育課程を編成している点については、評価できると考えています。
 
国連の教育理念は尊重すべきですが、現場の実態もそれと同じくらい尊重されなければなりません。
 
世界のトレンドを察知し乗れるところには乗るけど、現場の実態、つまり子どもの実態にそぐわなければ、その国独自の教育制度を維持していく方が賢明だと思います。
 
 
日本は幸いにして、EUのような連合共同体の教育施策に規定されず独自の教育施策を進めやすい環境です。
 

江戸時代の寺小屋、私塾、藩校、明治以降の学制、教育勅語、教育委員会制度など、西欧の学問や教育技術を取り入れつつも、日本独自の教育システムを展開して来た歴史があります。


 

強いて例外を言うなら、戦後のGHQ占領によって、日本の伝統文化、日本人としてのアイデンティティ、自分たちの国や地域に誇りを持つことを、必要以上に抑制させられて来たことでしょうか。


 

今後は、中央教育審議会で現在審議されているように、日本型教育をベースにしながらも、本当に話せるようになる実践的な外国語教育や生成AI社会を前提とした新たな課題解決学習、


他方でフィンランドで失敗したと言われる教科書デジタル化による学力低下など、海外の成功例や失敗例をしっかり吟味しながら、有効なものを輸入していけばいいと思います。


 
 
おもしろいもので、海外生活4年目ともなると、日本の特に教育について良い面もそうでない面もいろいろと浮き彫りになってきます。
 

あくまで個人的見解にしか過ぎませんが、日本、セルビア、そして世界の教育が本質的に子どものためになっている教育であって欲しいという願いは、世界中の教育者の皆さんと共感できているのではないかと思っています😊




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