新年おめでとうございます。
管理者である僕、ハニワちゃんすら立ち寄らないブログでありますが、さきほどこのブログのことを思い出しまして、
新年のあいさつ申し上げます。
ちなみに本日、ここにお立ち寄りいただいた方の数は「0」でした(笑)
ほんと誰も立ち寄らないブログです。
重複してしまうけどブログを管理している本人も立ち寄らないブログなのですから(笑)
今日は届いた年賀状から大昔のことを思い出しました。
カトリックの洗礼を受けた僕。
教会の仲間からの年賀状の添え書きに
「関口教会も世代交代が進んでいますね」
とありました。
僕と一緒にシスター中島のキリスト教入門講座を一年間受講し1996年に受洗した兄弟からの年賀状です。
今日はすき焼きを食べてお酒を飲み、テレビを見ながら母といろいろ話していました。
そんな中、世代交代みたいな話しがでたので関口教会の兄弟からいただいた年賀状の添え書きを思い出したのです。
ちょうどテレビではバナナマンが食べ歩きをしている番組だったし、年賀状の世代交代という添え書きと重なって
33年前の思い出がよみがえってきました。
母にその話しをしたのだけれども、母はテレビに夢中になっていてしっかりと僕の話しはきいていなかったみたいです。
年頭の挨拶がてら・・・・あまり新年とは関係がない話しではありますが、母に話した33年前の話しをしたいと思います。
33年前・・・・僕は池袋にあった技術会社のN川氏にお世話になり、テレビ番組の現場で修行していまいた。
平成元年に映像プロダクションを立ち上げ、演劇舞台やコンサートの撮影をしていたのですが、
誰からも指導を受けておらず自己流でした。
映像の仕事をしているのならテレビの世界で頑張りたいと思っていて、テレビ番組の仕事がしたいと思っていた20代が終わろうとしている僕でした。
観光地ビデオ制作のプロデューサーのS氏と一緒に次の観光地ビデオでの打ち合わせでカメラマンのN氏とファミレスで会いました。
N氏はテレビ番組でカメラマンをやっていて、テレビ関係者とはじめてであった僕でありました。
もちろんテレビ番組の仕事がしたくてうずうずしている頃でした。
ファミレスでN氏からうちで仕事をしないかと声がかかりました。
僕にやってきたチャンスでした。
はじめは三脚のかつぎ方とかホワイトボードでホワイトバランスをとるとかほんとうにお手伝い的な仕事からスタートしました。
N氏は僕がテレビ番組で働けるかどうかというテストをしようとしたのかもしれません。
あるとき、ものすごくハードな仕事をすることになりました。
それがテレビ番組の仕事ができるかどうかというテストだったと思います。
N氏が撮影するのですが、当時は50メートルくらいあるケーブルがあり、ケーブルをさばく「ケーブルマン」の
仕事でした。
N氏は走り回り撮影しました。
もしも僕がN氏に追いついていけずにケーブルをさばかないとN氏は転倒してしまうかもしれないのです。
自分は必死で頑張りました。
ものすごい肉体労働でした。
休憩時間になり副調整ステーション(スイッチャー収録のステーション)に行くとテクニカルディレクターが
僕をからかうように言いました。
「死ぬかと思った?」
自分は死ぬかと思ったのですが、顔には出さなかったと思います。
そして言いました。
「いや、全然、なんともないですよ」
僕のはったりでした。
そしてこの仕事を終えたとき、N氏は思ったのでしょう。
「こいつだったらテレビの現場でもやれるぞ」
N氏からその後すぐにテレビの仕事があるのでやらないかと声がかかりました。
やっと憧れの仕事ができる!!
はじめは三脚持ちでした。
三脚を肩でかつぎ、ディレクターがここと言ったら2段、3段とディレクターの指示通りにすばやく三脚をたてるという
仕事。
もう僕は30代になっていました。
テレビの世界では30代は若くはなかったと思います。
20代、30代のメンツでの仕事でした。
自分は30代に入ったのにまだ三脚持ちでした。
テレビ番組なのでテレビでしか見たことがない有名なタレントさんも一緒にロケ仕事をしていたわけですが、
撮影の前に喫茶店などで顔合わせをすることがありました。
今回ディレクターを担当します**です。アシスタントディレクターの**です。カメラマンの**です。
制作と技術とでだいたい当時は6~7名のスタッフでした。
制作と技術と紹介されるのですが・・・・・自分だけが紹介されなかったです。
だって、ただの三脚持ちだから(笑)
三脚持ちの仕事と言えば上に書いたように三脚を立てることやホワイトボードを開いてホワイトバランスをとることくらいです。
タレントさんも話しかけてくれないし、みんなからただの下っ端といった目で見られているような立ち位置でした。
でもそれから僕は頑張りました。
ビデオエンジニアになったのです。
当時はVEなどと言われていました。
ディレクターと意思疎通を保ち技術スタッフにもディレクターの意思を伝えたり、モニターを見てカメラマンにある程度の
指示をしたり、ディレクターの要望をカメラマンにフィードバックさせるような仕事です。
それと同時に技術スタッフがきちんとできているかもチェックしたり、撮影したロールに撮影内容を記述するという仕事
でした。
カメラの複雑な設定も自分がやっていました。
たとえばNHKと民放ではタイムコードの設定が違っていたので、そういった設定も僕の担当でした。
ビデオエンジニアは技術と制作のあいだをとりもっているような・・・そんな仕事でした。
だからディレクターからかわいがってもらうということもありました。
当時は技術と制作とが喧嘩しているようなところがあって、カメラマン(技術)はディレクター(制作)の
批判をするということもよくあったし、制作は制作でこっちが使っているのだというようなプライドもあったと
思います。
なんというか技術を下に見ているというかね。
わかりやすく言うとディレクターが偉くてカメラマンはただ使っているだけだという感じ。
もっともドキュメント番組などではその立場は逆転していて、カメラマン次第というところもありました。
だって、ドキュメント番組ではいちいちディレクターがこう撮ろうとか、このカットはOKでこのカットはNGだから
もう一回撮ろうなんて言わないから。
カメラマンがともかくなにがし心の中を語る人に自然に語ってもらえるようにうまくやっていくという感じですからね。
こんな感じで話していくといつになったら本題に移れるのかわからないですね。
そんな33年前の思い出の中から本題へと行きたいと思います。
ロケのチェーンでもディレクターから信頼されバリバリに頑張っていた頃にN氏からグルメ番組のロケに行かないかと
誘いがありました。
蟹の取材でした。
N氏はうまい蟹がたらふく食べられるぞと誘われました。
N氏もテンションが高く・・・・蟹の中でもほんとうにうまい蟹が食べられるということで生き生きとしていました。
船に乗ったり、連泊してのロケでした。
自分はしかし乗る気ではなく断りました。
なぜ断ったのかは思い出せないのですが、自分は自分で舞台の撮影など本業があったわけだし、
連泊してまでテレビの仕事はしたくないと思ったのかもしれません。
僕はみんなをみおくりました。
ほんとみんな、うまい蟹が食えるということでほくほくの笑顔だったと記憶しています。
数日がたち技術チェーンが戻ってきました。
僕は言いました。
「どうだった? 蟹?」
するとN氏は苦虫をつぶしたかのような表情となり言いました。
「成毛 はじめはみんな大喜びだった。ほんとうまい蟹を食べることができて。
でも毎日毎日蟹ばかり食べていたら匂いをかぐだけでもう嫌になった。
このロケで一番うまかったのはご飯とおしんこだった。」
ほんといろいろな種類の高級な蟹をたべたということでみんな感動していたということ。
どれだけうまいものでも毎日そればっか食べているともういい、やめてくれということになるようでした(笑)
やっぱり僕が仕事を断ったことは正解だったかもしれないですね。