食功師リッツ 武学について感じたこと 18 | リッツ 「武学」予定ブログ

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覚悟と決断

 

さて、「武学」でいう覚悟や決断っていったいなんでしょうか?

 

最後までやり抜く覚悟?

 

絶対にあきらめない決断?

 

色々思い当りますよね。

 

しかし、「武学」でいう覚悟と決断は少し違います。

 

「武学」でいう覚悟と決断は、ズバリ!

 

「死ぬ事」です。

 

もっと分かりやすく言うと、「命を懸ける」という事です。

 

「え? 何それ?? 武学ってヤバくない?」

 

はい。 そうです。 「武学」はヤバいです。

 

「武学」はもともと中国マフィアが使っていたんです。

 

というか、「武学」の概念を中国マフィアがパクったって言ったほうが良いかな。

 

「武学」はもともと「軍学」です。

 

「軍学」とは統計学であり、それは何の統計から割り出されたかというと、

 

人の命の数の統計から割り出されました。

 

つまり、この武器を使えば人はこれぐらいの確率で、これぐらいの数死ぬ。

 

この作戦ではこれぐらいの兵士が必要で、これぐらいの兵士が死ぬ。

 

兵士をこの期間これくらいの頻度で、このメニューで鍛えれたら、死値率がこれぐらい下がる。

 

「武学」の発展は、「人の死んだ数」に比例する。

 

そういって過言ではないはずです。

 

「軍師」は、自分は戦場の矢面に立つことは無いのですが、

 

今日の戦でどのくらいの兵隊が死ぬのか。

 

予想をたてて、兵士を戦場に送り込むのです。

 

「軍師」の肩には、目には見えませんが「人の命」の重圧が、

 

ズッシリとのしかかっていたことでしょう。

 

その命の重さを知る者以外、「軍師」になることは出来ないとも言えます。

 

なので、「軍師」は何時の時でも「死ぬ覚悟」「命を懸ける決断」をもって、

 

日々生きていたのです。

 

「武学」を学ぶ者は、そこの意味を理解しなければなりません。

 

「武学」でいう「本気」とは、「本気で命を懸ける事」を意味します。

 

「武学」でいう「覚悟」とは、「死を覚悟する事」を意味します。

 

かと言って本当に「死ぬ」事を選ぶのではなく、

 

それほど思いを持って何事にも挑む。

 

死ぬ気で命を懸ける覚悟を持ち、自己の使命を探求し、

 

全生命の調和の為に「禮」を用いて活動する。

 

それが「武学士」の姿なのです。

 

ちょっと怖かったですか?

 

リッツもチョー怖いです(笑)。

 

ですので、体術練習で命を懸ける疑似体験をするのです。

 

ウフフ。

 

目下修行中です。