ガラスを爪でひっかくように | 黄昏オヤジの暴発日記

黄昏オヤジの暴発日記

退職後の第二の人生を手探りで進むオヤジのモデルガン+独り言。黄昏に染まりながら気まぐれに発火しつつ、この世の由無し事に毒を吐く(令和4年5月20日・タイトル一部修正)

 今日から新たにコロワク接種が始まる。

 意地の悪さと不愉快さを武器に、ささやかに抵抗する。

 

【有効性】

 ファイザーのワクチンの有効率は95%といわれているが、それは以下のような計算で求められている。
 臨床試験における対象者を「ワクチンを接種して発症した人の割合➡A」、「ワクチンを接種しないで発症した人の割合➡B」と分類した場合、「1-A(ワクチンを接種して発症した人の割合)÷B(ワクチンを接種しないで発症した人の割合)×100という式で求められる値(%表記)」が有効率(疫学上「相対的リスク軽減率」)となる。

 ファイザーのワクチンの場合、臨床試験でワクチンを接種しなかった18,325人のうち162人(0.88%=)が発症したのに対し、ワクチンを接種した18,198人のうち発症したのは8人(0.04%=A)なので、1-(0.04÷0.088)×100≒95%となる。(本来はもう少し複雑な方法で計算するが結果はほとんど変わりない)

 つまり、ワクチンの有効率95%とは、ワクチンを接種しないと発症する見込み人数を、ワクチン接種によりどれだけ減らせるかを割合で示したものに過ぎず、ワクチンを接種したら95%の確率でコロナに罹らなくなるというものではない

 ワクチン打ったからほとんどかからないと思った方、残念でした。ご愁傷様(^^♪

 

【抗原原罪によるワクチンの無効化】

 今日から提供されるファイザーXBB用ワクチンはネズミ10匹でしか試験されていない。モデルナについては50人の人間で試験されているがその内一人が後遺症を発症している。はっきり言ってネズミが10匹に人間が50人での試験など、まともな治験とは到底言えない。

 しかも、そんな胡散臭い実験の結果でさえもこのワクチンが無効なことを暴いている。「抗原原罪(免疫刷り込み)」のために、産生される抗体のほとんどはすでに消滅している武漢タイプとBA.4/5タイプに対するものばかりでXBB.1や今主流になりつつあるBG.5、今後主流になるであろうBA2.86に対する抗体はほとんどできないことを明らかにしている。

 「抗原原罪(免疫刷り込み)」( いったんある抗原に接触しそれに対する抗体ができると免疫がそのことを記憶する。そのため、それ以降ほかの類似した抗原に接触しても優先的に最初に接触した抗原に対する抗体しか産生されないという現象)。最初の武漢タイプのコロワクで武漢タイプの抗体ができてしまうと、その後によく似た変異株(例えばデルタやオミクロンなど)のウイルスが入ってきても、最初の武漢タイプの抗体ばかり増え、本当に必要な変異株用抗体はほとんど増えない。厚労省や自称専門家は「抗原原罪」は認められないと言ってきたが、積み重ねられた事実は明らかにその存在を示しており最近では「免疫刷り込み」という表現で渋々その可能性に言及始めている。

 昨日の記事にも書いたが、厚労省とその専門家はほとんどデマしか言わないからね。

 あのさ「効果のある可能性が期待できる」なんて何?「可能性が期待できる」なんて日本語聞いたことがある?

 馬鹿もいい加減にしろってんだよ!

 

【野放しされる膨大なスパイクタンパク】

 mRNAワクチンは、コロナウイルス表面のスパイクタンパクのmRNA(設計図・一部遺伝子操作し強化してある)をLNP(脂質ナノ粒子)に入れ体内に投与することで、細胞内のリボソームにmRNAを読み込ませ大量にスパイクタンパクを産生させ、それに免疫を反応させて中和抗体をつくらせるという仕組み。ちゃんと適応した中和抗体が産生されれば、その抗体がスパイクタンパクに取り付き細胞との接触を防いでいる間に、マクロファージなどの細胞免疫がスパイクタンパクをやっつけてくれる。

 ところが、抗原原罪の影響で有効な中和抗体ができないとワクチンで作られたスパイクタンパクは野放しになる。つまり、XBBワクチンによりXBBウイルス由来のスパイクタンパクが体内で大量に産生される(しかも、mRNAは人為的に強化されているため本来の感染とは問題とならないくらい短時間で大量に産生される)が、出来上がる抗体は無効な武漢タイプばかり。そのため大量に産生されたXBBスパイクタンパクは抗体の影響をまったく受けず(中和されることなく)フリーの状態で体内に散らばる。しかも最長で6か月ほど体内にとどまることが確認されている(厚労省は1週間ほどでなくなるというが真っ赤な嘘)

 ちなみにスパイクタンパクはそれ自体に毒性があるといわれている。毛細血管などに入り込み血栓の原因になったりするらしい。脳で血栓が起これば脳梗塞、心臓で血栓が起これば心筋梗塞なのかな。それと、スパイクタンパクはクロイツフェルトヤコブ病(狂牛病)の原因となる異常なタンパク質と非常によく似た構造を持っていることも確認されている。脳内に入り込んだスパイクタンパクが正常な脳のタンパク質を狂牛病の異常タンパク質に変える可能性が指摘されている。実際にこの病気が増えていると訴えるお医者さんがいる。日本国内で、だよ。

 良かれと思って打ったワクチンがつくるものは本来人間の体内で産生されるはずのないスパイクタンパクと全く無駄で無能な抗体。それが大量に野放しで体内を駆け巡る。さて、どんな影響があるのだろうかね。

 知らんけど。

 

【IgG4】

 抗体の種類のお勉強。

 ワクチンは、IgG(免疫グロブリンG)という抗体を作らせるが、これにはIgG1からIgG4の4つのタイプがある。IgG1とIgG3はウイルスに結合するとマクロファージなどを呼び寄せウイルスを貪食させることでウイルス排除、つまり一般的なイメージの「抗体」の働きをする。しかし、IgG2とIgG4は逆に「この物体(ウイルス)は異物ではありませんよ」という標識となる。つまり寛容的に働く(病原菌を無害なものとして受け入れる)とされている。

 恐ろしいことに、mRNAワクチンを接種するとその免疫抑制を起こすIgG4が大量に増加し、さらにブースター接種で一層増加することが実験で分かっている。mRNAワクチン接種1回目と2回目直後にはIgG4は検出されないが、2回接種後7か月経つと現れ、3回目接種直後で検出量が大幅に増加する結果となっている。逆に免疫を高める効果があるとされているIgG1とIgG3は2回接種後7か月で減少し、3回接種直後でも2回接種直後と同等かそれ以下となっている。これが再度、再々度、再々々度のブースター接種になるとその影響は積み重ねられ抗体は大量に、かつ、不可逆的にIgG4化する。その結果、免疫は致命的に機能しなくなっていく

 どうなるか?たとえコロナは避けられても、癌をはじめとする様々な病が襲いかかるが本来働くべき免疫は機能しない。まるで悪質で重篤なエイズ=ワクチン由来後天性免疫不全症候群に罹患したように体内に隠れ潜んでいた様々な病原体が活性化し、我先にとあなたの身体を貪り始める。骨は溶け、内臓は腐り、皮膚は爛れ、意識そのものが蝕まれ生き腐れた残骸になっていく。早く死ねる人はまだ幸せかもしれない。じわじわと病原体に貪られ地獄の苦痛を味わうよりはね。

 

【提案】

 今日から始まった接種は予約で一杯だというのだからもう何をかいわんや。頭が固まった者に何をどう言っても今更だろう。ここは視点を変え、自分の利益になるように武器として積極的に人に勧めよう。もちろん自分はあくまで打たない。自分の周りを見渡した時、嫌な人間がいないだろうか。セクハラ・パワハラ気味の上司、容姿や学歴あるいは家柄を鼻にかけマウントを取ろうとする同僚、嫌味な取引先、ストーカーまがいの隣人、浮気性な夫や妻に出来の悪い子供、口うるさい親戚筋などなど。いなくなってしまえ、不幸になってしまえ、と思う相手は履いて捨てるほどいるだろう。だったら彼らや彼女らに勧めよう。今回だけではない。どうせコロワクはこれから毎年打つだろうからその度に勧めよう。もしかするとインフルワクチンも将来はmRNAになるかもしれない。そうなったらそれも勧めよう。とにかくどんどん勧めよう。僥倖に恵まれれば打ったその日にその嫌な人物はアナフィラキシーショックで逝ってくれる。そうでなくても体調を崩して職場から消えてたり、表に出てこれなくなるかもしれない。家族の場合、寝たきりになったら困るがその際は少し盛ればいい。なに、わかりゃしない。最低でも免疫を壊され寿命は確実に短くなる。愉快じゃないか。嫌な奴が体を壊し不幸になって早く死ぬなんて。

 

【推察】

 当初は厚労省にも、純粋に国民の救済の意図があったかもしれない。しかし、次第に明らかになるコロワクの毒性の高さのおののき善後策を検討し始めたのだろう。しかしその過程で、高齢者を中心とする死亡者の増加に着眼し、「毒を食らわば皿までも」と、社会保障費の削減に舵を取ったのではないかと思う。コロワク接種を続ければ高齢者は確実に早く死ぬと確信し、そうすれば増大する医療費や年金を削減し、財政を健全化することができると。確かに高齢者以外にも多少の犠牲が出るだろうが、それも目的から十分にペイできると考えたんではないかな。国という組織全体で、まさしくベネフィットとリスクを考量した結果じゃないのかな。

 

【密かな願い】

 コロワク接種を推進した、医師や製薬会社、厚労族、マスゴミといったあらゆる連中が、その生涯最後の時に「打っていなかったら俺もう少し寿命があったのでは」という疑念と絶望を感じながら逝くように念じたい。