ヒトラーが創った聖火リレー | 黄昏オヤジの暴発日記

黄昏オヤジの暴発日記

退職後の第二の人生を手探りで進むオヤジのモデルガン+独り言。黄昏に染まりながら気まぐれに発火しつつ、この世の由無し事に毒を吐く(令和4年5月20日・タイトル一部修正)

 ずいぶん春めいてきた。早朝午前4時頃はまだ暗く冷え込んでいるが、5時を過ぎたあたりから薄明るくなる。桜もはや散りはじめだ。この週末が最後だろう。

 

 しかし世の中は相変わらずコロナを中心に回っているようだ。

 最近は大阪方面が危ないようだね。東京よりも大阪で感染者が多いということには、科学的、合理的な理由があるのだろうか。普通ならまずは東京だと思うのだが、なんで大阪が多いんだろうと疑問に思う。検査の仕方、一緒なの?

 そんな中、ようやく選抜が終わった。甲子園球場は兵庫県の西宮市にあるんだよね。感染者が多いところでやっていたんだよね。たくさん全国から応援や見物にやってきて、みんな帰っていったんだ。

 …フーン。種、持って帰ったのかな芽が吹いたら、それはもしかしたらクラスター

 あなたの近所に応援に行った人がいたら、しばらくは気を付けたらいいかもよ。

 

 聖火リレー、走っているんだ。

 知ってる人は知っているトリビアねただけど、聖火リレーが行われたのはアドルフ・ヒトラーのナチス政権下、1936年のベルリン大会から。聖火リレーはナチスドイツの宣伝目的で創設されたものってご存じ?真実ですよこれ

 当時、ベルリンオリンピックの運営を任されていたカール・デームという人物が、オリンピック発祥の古代ギリシャの都市オリンピアには、当時の他の都市と同様に「神聖な炎」が祀られていたということと(当時としては当たり前のこと)、当時の地元民の祭りで火をつけた葦をバトンにして祭壇まで運ぶ行事があったという、二つの異なる歴史的な宗教行為に眼をつけ発案したもの。

 聖火ではないが祭壇に祀られる「神聖な炎」はあったし、火のついたバトンリレーもあったけど、古代オリンピックには聖火リレーなんてものはなかった。ヒトラーのもとでナチスドイツがプロパガンダ、権威高揚のために創めたもの(ちなみに、すべてのトーチにはドイツの兵器製造会社クロップスのロゴが入っていたんだって)。

 さらにすごいのはね、ヒトラーは聖火リレーの下見と称して、事前にギリシャのオリンピアからバルカン半島を北上し、ベルリンまでの約3,000kmの各国の道路や地形を調べさせたそう。ブルガリア→ユーゴスラビア→ハンガリー→オーストリア→チェコスロバキア。

 ほんでもって、1939年に勃発した第二次世界大戦ではナチス・ドイツ軍はこの聖火リレーのルートを逆方向に侵攻。つまるところ侵攻ルートの下見に利用したわけ。頭いい。

 それをみんな有難がっているんだよね。可笑しい( 一一)。

 

 参加する人、知ってるのかな?知らなかったら教えてあげてね。

 古代オリンピックに聖火リレーなど存在しない。創ったのはアドルフヒトラー率いるナチスドイツ。聖火ルートは電撃作戦の侵攻ルート(下見)。

 聖火リレーを平和の象徴なんて持ち上げているけれど、やめてくんない?気分が悪くなる。