『バタイユ 消尽』(湯浅博雄)から供犠について書かれた部分を引用すると、
「供犠は破壊するが、なにを破壊しようとしているのか?バタイユの考えでは、家畜や穀物のなかで〈事物性〉を壊そうとしている。「死を与える」ことによって、逆説的にも本来的な真実へと、〈霊〉的な真実へと回帰させようとしている。
通常の仕方で消費したり、他の人へと譲渡(贈与)したりするのでは、真に事物を破壊することにはならない。なんらかのやり方で〈エコノミーの(制限された)回路〉のなかにとどまるから。その回路から決定的に引き出し、純粋に消失してしまうことで初めて、〈事物性〉を究極的に破壊することになる。それゆえエコノミーを超えた彼方の次元、〈神的なもの〉の次元へと純粋に贈与する祭りが生じたのである。」
今の時代、みんながやるべきことは、
すべてを犠牲にしてもいいと思えるような、エコノミーを超えた彼方の次元を見つけ、そこに対して貢献する、捧げるような〈場〉(祭りのような機会)を日常の中で持つべきだということ。
その祭りのような場は、非日常で、祝祭のような、生き生きとしたものを使い切るような、そんな場でありましょう。
からだ全体が沸騰するような、内側から熱いものが込み上げてくるような、血湧き肉踊るような時間でありましょう。
これのためなら自分を犠牲にしてもよい、自分を注ぎ込んで、燃えつきたいと思える次元、テーマ、存在(つまり、熱心な信者が信じているところの神のようなもの)を見つけたらいいのではないかと思います。
それを見つけるには、たくさん知識を吸収したり、歌をうたったり、文章をたくさん書いたり、誰かの文章を書き写して読んだり、「自分にとってそのような存在はなんだ?」と24時間、自問したらいいかなと思います。
ゴール更新=聖なる次元を見つける!と読み替え可能かと思います。
ゴール更新というと、俗っぽくてみんなつまんなくなっちゃいそうなので、聖なる次元を見つける!って考えたら、面白いかと思います。
自分にとっての聖なる次元を見つけましょう!
なにか気になるアイディアに気づいたら、スマホかノートにメモしましょう。
それでは!
小林佑太朗 twitter