⑨=塔
「すっかりウチに来て寛いでますけど、隊長お客様ですよね?」
「だと思うなら、茶位出して欲しいものだ」
「招かざる客に何故?」
そう言いながらもチャンビンは、渋々と挽きたてのコーヒーを作り入って来た途端ソファーに寛ぎ始めたヨンの前に置き、自分のデスクに戻って行く。
デスクトップモニターは二画面を並べ、連動出来る様にしてあるが、基本的には独立し、それぞれが作業内容に合わせて動ける様にしていた。
その一つを起動させ、チャンビンは会社とオンラインで繋ぎ合わせると制作途中のプログラミング画面が表示され画面いっぱいに文字の羅列が並びだし、
それを見ながらチャンビンは無言で取り組み始めていたが、そういえばとヨンにも話し掛けて来る。
「うちの会社が前に大きなクライアントが付いたと言っていたでしょう?あれ、隊長の会社でしたよ」
「そうなのか?」
「・・・と、言っても『アメリカ支社がうちの会社のスキルを欲しがった』が、正しいのかもしれませんが。技術スタッフがアメリカに行かず本国で仕事がしたいと訴え、会社のクライアントになったらしいです」
いくらアメリカの会社が買収しても、技術スタッフ達がストライキを起こせば何の意味も無い。
その辺は、日影でコツコツと仕事をして来た自分達が唯一強気に出れる所なのだろう。
「へぇ」
ふーん、とヨンは興味が無いのか返事だけで終わってしまった。
ちらりとヨンを見ると窓の外を見て、物思いに耽っている様にも見える。
どうやら、昨日送ったウンスへのメールの返事が夜になった今も返って来ていないという。
まさか一日中メールの返信が無いと、落ち込んでいたのだろうか?
――・・・何と平和な。
一つの事だけを考えるなんて、あの時代は有り得ただろうか?
チャンビンは無言で窓を見ているヨンを横目に仕事に取り掛かった。
ふと。
ヨンのスマホが鳴り、焦ったヨンは急いでポケットから取り出し確認をすると。
「・・・来た」
小さく呟き、ヨンは安堵した表情になっていく。
連絡先を交換したとはいえ、ヨンが一度送っただけでウンスからは何も来ておらず一方的に送るだけになったらと不安を持ち始めていた。
「・・・この間チャン侍医と話をしたレストランで良いそうだ」
「そうですか。では、予約だけでも取っておきましょうか?」
チャンビンは返事をしながらも目はデスクトップモニターから離さず、手を動かし続けている。
「どうやら俺に聞きたい事があるらしい」
「何でしょうね?」
「何でも答えるつもりだ」
「引かれない程度にお願いしますよ?」
折角ウンスがヨンに歩み寄って来たというのに、彼女が怖がったら再びふりだしに戻ってしまうのだ。
「チャン侍医は来なくて良いからな」
「行く気等更々ありません」
・・・自分の時は監視に来た癖に。
ウンスから連絡を貰えたヨンは急激に機嫌が良くなり、コーヒーを飲むとさっさと部屋を出て行ってしまった。
「余計な事を話さなきゃ、大丈夫だとは思うけどね・・・」
だが如何せん、中身があのチェヨンなのだから期待は出来ない。
最近の道草で遅れていた作業を取り戻そうと、猛然とキーボードを打ち込むチャンビンだったが、画面端に映し出されたメールの着信で一旦手を止めた。
『やはり、チャン侍医も来い』
「・・・勘弁して欲しい」
はぁーとチャンビンは手で顔を覆ったのだった――。
約束した時間は勤務時間終了後にした為、空はすっかりと暗くなっている。
だがその時間でも街並みは明るく、同じ仕事終わりの会社員や夜の街に繰り出した若者達で混雑している中をウンスは約束した場所へと向かっていた。
――・・・彼の話にもよるけど、だとしたら私に言った言葉が軽く聞こえないだろうか?
何を持って私をそう思ったのか?
事故前と今の状況が変わったとして、いきなりそんな気持ちになるものだろうか?
「そもそもが、そんな言葉をさらりと使う人がいるだなんて・・・」
言われ続け、嫌な気持ちにはならなかった。
そりゃそうよ、ドラマみたいだもの。
しかし、それを頻繁に出す人だったとしたら?
大学時代の自分を褒めてくれる心地良い先輩の甘い言葉に舞い上がり、好かれようと自分をアピールし続けた私は、結局は更に強かで可愛らしく男性に寄り添い上手く立ち回る女性に負けてしまった。
頭は良いし、顔は綺麗だけど。
先輩の言葉にはウンス自身を褒めてる部分は一つも無かったのだ。
大学を卒業し、都心の有名病院に就職する為の功績を積む為のサポートが欲しかった。
卒業間際に先輩に言われ、ウンスは廊下に呆然と立ち竦んでいた事を今でも忘れる事が出来ない。
風の便りでは、病院で知り合った女性と結婚して釜山市に個人病院を建てたとか。
・・・ではあの時にいた可愛い彼女も、私と同じだったのかしら?
私は上手く可愛い女性が出来なかったという事だったのかもしれない。
知っている。
こんな姿はあまりにも見苦しいと。
男の為に自分が産まれた訳ではない。
だけど、結局一人では夢にも近付けないのだ。
「・・・でも、これは」
チェヨンには聞かなくてはならない。
話によっては、昔の情けない自分に逆戻りするだけなのだから――。
レストランに入り、エレベーターを上がって行くとこの間とは違いあの席にはチャンビンでは無く、チェヨンが座っていた。
濃いグレーのスーツが良く似合う彼は外の景色を見ていたが、ウンスの気配に気付いたのか直ぐに顔を向け椅子から立ち上がり出迎えをして来る。
まるでその動きは女性が来たら当たり前の様に、紳士的でもあった。
「イムジャ・・・」
モデルの様なスタイルの彼が何とも古めかしい呼び名を言う。
それがウンスがずっと彼に感じている違和感だった。
ウンスはにこりと笑い、こんにちはと頭を下げるとヨンはウンスの姿を見つめていたが、同じくにこりと微笑み返して来た。
「嬉しいです」
何に対してなのかそれともこの状況がなのか、ウンスにはやはり彼の言葉の意味が理解出来ない。
もっと沢山話をすればわかったのかもしれないが、その前に聞いておかなくてはと微笑みながらウンスはヨンを見つめた。
店員がメニューを持って来て、ヨンが何か好きな物はありますか?と尋ねて来るが、
ウンスはテーブルに置かれてある水を一口飲み、ふぅと息を吐き出すと、
「その前にチェヨンさんに聞いておきたいのです」
「はい。イムジャが問う事に全て俺は答えますので」
何でも聞いて欲しい。
――そう、良かったわ。
「・・・去年、事故に合われましたよね?あれ、私もニュースで知ったんです」
「あ、はい」
事故の話を切り出すとヨンの顔が強ばった様に感じ、ウンスはその顔を見つめながら話を続けた。
「搬送された病院に知り合いがおりまして、その事故の話も少しは聞いていたんです」
「・・・それでチェヨン、いえ、俺を知っていたのですか?」
「?」
ヨンの不可解な問いに少し首を傾げたが、そうではなくと笑顔で再び話をする。
「チェヨンさんはあの時空港に向かっていたらしいですね?」
「空港・・・はい」
確かに叔母上の説明では仁川空港に向かっていた時の事故だと聞いている。鞄の中にパスポートが入っていた事で、アメリカに向かおうとしていたのではないか?とも言われていたのだ。
自分のパスポートを確認すると、何回も行き来している証拠もあり、数年住んでいたのだから向こうの方が慣れているのかもしれないな。叔母上はそう言っていた。
しかし、去年からヨンはアメリカにさえ行っていない。それはそうだ、中身がヨンに変わってしまい行きたいとも思っていないのだから。
故にアメリカの話を振られても、急いで覚えた朧気な知識しか入っていず曖昧な返事も出来ないでいた。
「・・・アメリカに用事があったのだと」
行先も何の為に行ったのかもわからないヨンには、無言で返すしかなく、それをどうウンスが捉えるのかも判断出来ずにいると。
「・・・その病院のスタッフの話によると、どうやらチェヨンさんは、
アメリカにいる恋人に会いに行く途中だった。
・・・と、聞いたのですが」
「・・・・・・は?」
ヨンの思考は一瞬停止していた。
少し離れた場所からガチャンと何かが割れた音が聞こえたが、ウンスはジッと正面のヨンの顔を見つめている。
「・・・・・・え?」
少し間の後、再びヨンは声を出したが、見つめて来るウンスの顔を凝視するしかなく。
何も言わなくなったヨンを笑顔で見ていたウンスは、一瞬で笑顔を消した。
ふぅとため息を吐き、表情の無い顔で、
「数ヶ月前まで恋人がいた方が、私を“運命の人”と呼ぶ理由を知りたいですわね」
ヨンを見つめる瞳は冷たく、それはよく知るウンスの怒りに満ちた眼差しで――。
「・・・俺は、貴女に再び会いたいと・・・それ以外はわからないのです」
出る言葉はそれしか無い。
だが、ウンスが問うた答えになっていないのもわかっている。
自分は調べが足りなかった。
この“チェヨン”の人生を調べておかなくてはいけなかったのだ。
ウンスを探す事しか考えておらず、自分に似たこの男が何故意識不明の重体にまでなったのか?外国に行く理由は?
会社の仕事を覚えるのでいっぱいいっぱいだったと言っても言い訳にもならない。
「去年から俺の元には誰も来ておりません」
「・・・そういう事ではなく」
ウンスの言葉が再会した時と同じ様に、苛立ちを含んだものに戻っていく。
「・・・もしかして、アメリカに恋人が待っているのではないですか?」
――・・・そんな、筈は・・・。
いるともいないとも言えないヨンに、
ウンスははぁーと長いため息を吐き出すとゆっくりと席を立った。
「申し訳ありませんが、今回のお話はお断りさせて頂きます」
「イムジャ・・・?」
「・・・あぁ、あの結婚相談所の件は気にしないで下さい。私も潮時かなと思っておりましたので、良い機会になりましたから。それでは失礼致します」
頭を下げウンスはテーブルから離れて行く。
ヨンは待ってと席を立ちウンスを追い掛けたが。
「・・・それと、その“イムジャ”て何ですか?」
その呼び方は教科書でしか読んだ事がない。
海外で違う呼び方を覚えてしまったの?
ウンスは外向けの笑顔さえ無く、冷めた表情を見せると直ぐに前を向き早足でレストランから去って行った。
「・・・・誰だと?」
恋人?知らない。
そんな者は。
慌てて席に戻り、鞄からスマホを取り出し着信履歴を戻り見るが、殆どが覚えていないものばかりで見てもわからない。
いや。
「・・・・・え」
数ヶ月前の着信とメールが最後だったのだろう、そこからは何の連絡も来てもいないが。
「・・・・・メヒ?」
メールには、彼女の名前があった。
・・・メヒがアメリカにいたのか?
自分は会いに行っていたのだろうか?
――・・・そんな、俺は、一体・・・
画面を見ながら唖然としているヨンに近付いたチャンビンは、その画面を見て眉を顰めた。
「・・・調査不足ですね。全く、医仙が可哀想だ」
そう言うと、
ヨンに非難の眼差しを向けたのだった――。
何よ、何よ!
何で何も言わないわけ?!
バレたと思って黙ったって事?!
イライラを吐き出す様にウンスは、足音を荒く立て早足で家へと向かっていた。
人を相談所から退会させ、運命だ何だと言っておきながら自分はついこの前まで恋人がいたのだ。
既に別れたのかもしれない。
だから、次に自分にターゲットを決めたのか?
やっている事が横暴すぎる!
「お金持ちの遊びに付き合っている程暇じゃないのよ、私も!」
面と向かって言いたかったが、レストラン内という事も見苦しい姿を晒したくないという気持ちもあり何とか耐えた。
「あーあー!もういいわ!違う男性見つけるから!」
ウンスはハッと気付き、足を止めビルを見上げた。
「ここ新しい占い屋があるって言っていなかった?」
その勢いのまま、ウンスはビルへと入って行ったのだった――。
「何で、私が行けずにあのオウ医師が博士に付いて行くのかって事!おかしいじゃない!」
ウンスは病院の更衣室で声を荒げていた。
上層部が行く学会にウンスは連れて貰った事も無い。
いや、行くのは大抵男性医師ばかりで仕方ないと感じていたが、何と今月の学会にはまだ歳若いオウ医師が選ばれ流石にウンスは顔色を曇らせたのだった。
シムは仕方ないわよとため息混じりに返事をする。
「元々オウ医師はオ博士の教え子だったのだから、可愛がるのは当然よね〜」
ウンスは白衣をロッカーにしまい自分のバッグを肩に掛け、何なのよ!と苛立ちを再び吐き出した。
「この間の占い師も、訳わからない事ばかり言うし・・・本当についてないわ」
「あの次期社長、駄目だったの?」
「最初から変だったじゃない。海外に彼女がいる事も秘密にするつもりだったのだわ」
「別れたんじゃない?今フリーなら良いじゃない」
「彼女と別れたばかりで“運命の人”と直ぐ言って来る人を?嫌よ!」
ウンスとシムは話しながら更衣室を出ると、そこに若い女性スタッフ達と鉢合わせし彼女達はウンスの話を聞いていたのだろう、ちらちらと見ながらの話とあからさまな眼差しにウンスは小さく舌打ちをしてしまう。
・・・自分のこの運命は一体何なのか?
こんな情けない事がずっと続くのか?
ウンスはシムに向き直り飲みに行こうと誘う。
「来週からイベントの講習会で忙しくなるから、今日は思いっきり飲みたいわ!」
週末でこの憂鬱な気分を消して来週に備えておかなくてはならない。
「見に来るのは、医療関係者や企業関係者が多いのだから失敗は出来ないもの」
「そうねぇ、今年ユ先生に順番が回って来たのもチャンスだと思えば・・・」
確か知り合いの企業も参加している筈、彼らにも自分を他の企業会社に売り込んで貰う様お願いしてみようかな?
ウンスは頭の中を来週のイベントに切り替え様としていた。
「とりあえず、来週の『国際医療展示会』の講習会、頑張るわよ!」
――男などいなくても、スポンサーは私一人で探してやるんだから!
⑩に続く
☆☆☆☆☆☆☆
16、塔
正位置=災害・災難・事故・崩壊・ショック
逆位置=不名誉・緊迫状況・受難・不安定
・・・ヨン氏はわからないもの仕方ないよね・・・。
・・・先に言っておきますが、
次からは再び原作やドラマと多少違う展開になります。
それでも良いよという方は読んで下さいませねf^^*)笑

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