本を読んでたりなにかを観ていたりしたときに
ふとみせる哀しそうな顔とか
つらそうな顔とか
泣きそうな顔とか
そんなカットが入る時がある。
なにか思いに反することを言わなければならないとき
つらい選択をしたとき
思いと言葉がうらはらで
気持ちが顔に出てしまうというシーン。
からの、本当の気持ちは言葉とはうらはらであることを
相手が気づくシーン。
本や映像では読者や視聴者が気づくように説明があったり
スルーできないくらいのカットが入る。
でも私は正直「そこ気づくか?」って思ってた。
現実ではなかなかないことだよなって。
別れたくないのに別れなきゃいけないと思い
ほんとは一緒にいたいのに離れたくないのに
別れを切り出すシーンによくある。
それを想像してみると「別れよう」と言われたことが
ショック過ぎてそもそも相手の顔をみられるだろうか…とか
哀しい表情を相手の苦しみをわかれるかとか思っていた。
でもそれってもしかしたら
少し違うのかなぁって最近になって思う。
結局のところ観たいものしか観られないし
意識して観られるもの自体限られてるし
自分本位で観たいようにしか観ないってことあるなって。
長い付き合いの友人と昔の話をしている時
同じ場所にいたはずなのに記憶しているポイントが全然違って
それっておもしろいなぁと思うことは多々あること。
興味があることが違えば記憶されてるポイントも違って
それはその時に受け取ったであろう情報の
解釈も違ってるのかなぁって。
それがさらに長い間をかけて自分の中で
違う形になったりするからもう大変。
全ての情報がすべて正確にインプットされるわけじゃなから
それぞれ違って当たり前だしそれだからおもしろいし
話や状況が立体的になったりする。
上で言う「正確に」ってのさえあやふやだもんなぁ…
「正確」ってなんだよって。
で、話戻して…
相手の表情から相手の思いをくみ取るっていうのも
基本自分の思いを投影して解釈してるんじゃないか
そう思った。
「別れたくないのに別れなきゃと思って伝える」を使うと
相手から別れ話を切り出されたけど自分は別れたくない。
その思いを相手の表情に投影させて…
相手も自分と同じ気持ちであって欲しいから…
いや、相変わらず考えることがめんどくさいな、私!
喜怒哀楽で一番表情が動かないであろう「哀」
そこでわかりやすさをプラスしてくれるのが
「涙」なわけだけどその出現はそう頻繁にはないわけで。
相手の思いをくみ取る。
くみ取れると思っていること自体が
厚かましいのかもしれない。
けどくみ取りたいわかりたいと思うことはとても大切で
人間関係においてなくてはならないもの。
あまり表情がうごかない「哀」も
明確に説明することができない
ふわっとしてつかみどころのない「愛」も
私にとっては正直わかりにくいものだけど
きっとこれもなくてはならないもの。
「愛」なんてわかりにくくて、相手にそうと伝わらなくて
そのくらいの感覚が成功だったりするだろうし。
ん?成功?(笑)
突き放すことが「愛」だったりもするかもだし。
顔の表情だけじゃなくて声のトーンとか
身体の動きとかありとあらゆる情報を
集めて想像してくみ取る。
まぁしょうがないよ。
自分の思いが投影されちゃっても
それは自分にキモチがある限りしょうがない。
でもくみ取ろうとしようよー!
それって大事だよー!って思う自分がいる。
「哀」も「愛」もわかりにくいけど
わかりにくいものだからこそ
きっとわかったときにまたなにか起こるんだと思う。
