ネタバレ、ダメ!ゼッタイ!なので
あからさまなネタバレは含みませんが
これから『怒り』を観に行く予定がある方は
以下読まない方がいいかと思います。
せっかく遊びに来てくださったのにすいません。
数あるブログの中から遊びに来てくださって
ありがとうございます。
またよろしくお願いしますっ!(ちゃっかり
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痛みを感じること、相手の痛みを想像すること。
人に触れること、触れられること、自分の存在。自分の輪郭。
信じること、信じようとすること、信じてもらえること、信じてもらえないこと。
笑うこと、笑われること。
求めること、求められること。
楽しむこと、楽しもうとすること、楽しいふりをすること。
救うこと、救われること。
助けること、助けられること。
伝えること、伝わること。
伝えようとすること、伝わること伝わらないこと。
伝えたいこと、渡したい思い。
伝えようとすること、受け取ること。
してもらうこと、してもらえないこと。
してもらったこと、してもらえなかったこと。
見ること、見られること。
見ようとすること、見ないようにすること。
受け入れること、受け入れられないこと。
自分の可能性を自分で否定しちゃいけない。
自分で自分の首を絞めてはいけない。
誰にでもある権利、幸せになる権利。
幸せになること。
必要にされること、存在の肯定。
金曜日『怒り』を観た。
上は観た後思うままに書いて
下書き保存してあったもの。
句読点も改行もそのまま。
観終えてすぐ私が文字にしたもの。
『怒り』ほんとにすごかった。
観に行ってよかった。
映画というカタチにしてくださった方々に
心の底からお礼を伝えたい。
その足で原作を買いに行きたかったけど
終わった後書店は閉まってる時間だったので次の日に買った。
まだ読んでないけど。
「裏切られる」という表現に
ずっと違和感を感じてきた。
その違和感の正体に近づくきっかけをくれるような
そのなんとなくもやもやした霧のようなものを
この映画が晴らしてくれるきっかけになるような
そんな気がした。観終えた後そう思った。
でも今もまだはっきりと言葉にはできないんだけど。
そういった意味でも原作を読むのを楽しみにしている。
どんなタイミングで読むのか自分でもわからない。
ほんとに素晴らしい作品だった。
でも元気がないときに観に行ったら
すごく引っ張られてしまうような気がするので
「今日は元気ないな、私」と
自覚がある時に観るのはおすすめしない。
キャストのみなさんも
ほんっっっっとに素晴らしかった。
たまらんかった。
全てが完璧に機能していた。
『怒り』のキャスト、最強の布陣。
なんだか2文字くらいで表記できるような
音と言えるようなセリフの一部で
涙のスイッチをONにされる。
なんか不思議な感じだったなぁ。
いまだかつてないほど泣いた。
涙をふくものを手元に用意してなくて
でもバッグから出すという動きをとりたくなくて
流れる涙をそのままにしていたら
襟の方まで流れてきて困った。
帰りの電車でもおさまらなくて
人に顔をみられたら「ぎょっ」
とされると思ったので
なるべく人目につかないように
隠れるようにして帰った。
今これを書いていてもうるうるしてる。
なんなんだこれは。
今すごくヒットしている映画
私が受け取ることに失敗して
「よかった!」って感想を抱けなくて
取り残された気分になってた。勝手に。
敗因はわかっていて、私の理解力不足に他ならないんだけど
なんとなくさみしく感じていたんだと思う。
なんかそこから救われた気がした。勝手に。
なにも私を疎外してないのに勝手に感じていた疎外感。
そこに明確なつながりは全然ないのに
今度は勝手に救い出された気持ちになってる私。変なの。
「みんな違って、みんないい」
って素晴らしいなって改めて思った。
シンプルなものは美しい。
「怒り」という感情も一見シンプルだけど
その感情が生まれるまでの過程は様々で
その感情がどこに向かっているかも様々。
それが原動力になってしまうこともあるし
それが足かせになることもあるだろう。
人の感情なんてカタチのないもので内側のものだけど
外側からの影響でどんなふうにも姿を変える。
そもそもその人や事に関心や関係がなければ
「怒り」なんて感情は生まれない。
「怒り」から生まれる感情。
「怒り」が生み出す感情。
「怒り」から生まれる言動。
「怒り」がつき動かす行動。
それも様々でつらい。
いやぁ、ほんっとによかったなぁ。
今年はいい映画に出会えたなぁ。
まだ9月。まだ出会えるかもしれないけど
現時点ですでにほんとにありがたい。
実写の映像や画像、アニメやコミックス
その他視覚的な情報があるものは
光と影の存在、それが生み出す効果や表現に
とても興味があって
映画を観る前にポスターを観た印象と
観終えた後にポスターを観た印象が
とても興味深かった。
あぁ、私このポスター観て
観に行きゃなきゃいけないと思ったのかも
と思うくらい私にとってこのポスターの存在は大きかった。
同じ配置で陰影の異なるポスターが
2枚あることにもすごく興味があって
そこに何か意味があるんだろうなと思っていた。
観た後の今でさえきっと私は
「わかった気になってる」という表現がしっくりくる
そんな状態だとは思うけど
「何か」を少しであっても受け取った気がする。
受け取った気になっている。
このポスターを撮影されたのは篠山紀信さんだと
さっき検索して知った。やっぱりすごいな。
表現すること、伝えること。
映画のように不特定多数にそうしようとすること。
それが人を動かし、世の中に影響を与えることも
それはそれで素晴らしいこと。
でもそれは誰にでもできることではなくて
限られた人にしか叶わないこと。
でも一人一人が近くにいてくれる誰かに
伝えようとすることはできる。
伝えようとすること、伝えてもらうこと。
信じるってなにか一方的な気がして
「裏切られる」の違和感は
そのことと何か関係がある気がしてる。
言わなくてもわかるってことは
奇跡を期待するようなものだから
そんなあやふやなことはやめて
伝えようとして伝えていきたい。
伝わるように伝えたい。
そして伝えるだけじゃなくて
伝えてもらえるように
きちんと受け取れるように私もしていきたい。
広い場所に私を必要としてくれる人が複数いなくても
すぐ隣に私の存在を認めてくれる人がひとりでもいれば
それだけで…、というよりそれがベスト。
誰にも存在を認められなかったらいないのと一緒。
誰かじゃなくて「あなたに」って人に出会えたら
それが最高なんだと思う。
人は一人じゃ生きていけない。
だから存在を認めて欲しいし
承認欲求を満たされなければ
実際に死を選ぶ人だっている。
必要とされたい自分を認めて
必要としてくれる人を素直に感じられたら
今日という日も変わるんだろうなって思う。
私の生活はほんっとに一瞬で
全て崩れる可能性がある。
だから一瞬一瞬を大切にしていかなくちゃ。
大切にしていく、上に全力で楽しむ。
歳を重ねたらたとえ自分のレベルが上がってなくても
自動的に「敵」のレベルが上がっていく
そんなシステムだからこそ
自分のレベルも上げようとして上げていかなきゃ。
ラスボスにたどり着く前に自分という存在がなくなっちゃう。
「敵」がなにかはわからないけど。
「ラスボス」がなにかはわからないけど。
結局「敵」も「ラスボス」も自分だったりするのかな。