本を読むときによく二股や三股をかけてしまうんだけど
今二股をかけている二冊がぱっと見共通点あり?な二冊なのに
まごうことなく対照的な二冊でそれを楽しんでいる。
そのうちの一冊にとてもはっとしたセリフがあるので
自らの覚え書きも兼ねてアップ。
これから『君の膵臓をたべたい』を読まれる予定のある方は
もしかしたら私が感じた「はっ…」のような心の動きを
奪ってしまうかもしれないのでここから先は
絶対に読まない方がいい。そう思います。
「違うよ。偶然じゃない。私達は、皆、自分で選んでここに来たの。君と私がクラスが一緒だったのも、あの日病院にいたのも、偶然じゃない。運命なんかでもない。君が今までしてきた選択と、私が今までしてきた選択が、私達を会わせたの。私達は、自分の意思で出会ったんだよ」
それまで読んできた過程があって
登場人物の状況や心境を想像してきたり
自分も文字の中に入って過ごしてきたり
時には登場人物の中に、時にはその近くに
自分の身を置いたりしてそういう時間があっての
このセリフを読んだ時の私のキモチなんだと
そうは思うのですが、そういうの抜きにしても
いいセリフだなぁと思ったのでアップさせてもらった。
今自分が在ることはなんとなく在るのではなくて
自分以外のなにものかによって用意されたものではなくて
全て今までの自分の選択の結果なんだ。
偶然とか運命とかそういう「どうしようもないこと」に
ゆだねたり逃げたりしないで全て自分が決めたことであると。
私と君の出会いは私と君のそれぞれの選択の結果なんだ。
彼女の置かれてる状況から考えると余計にぐっときてしまう。
まだ読み終えてなくてたぶんなにもなければ
私は今日この物語を読み終える。
最後の句点に至るまでわからないのに
読了するまえにブログに書いてしまうなんて
こんなことあまりないなぁ。
きっとそれくらい私はこのセリフに
心を動かされたんだと思う。
電子書籍だと読んでいる時に
右手にある質量と左手にある質量を
はっきり感じることはないだろうから
「あと少しで終わっちゃう」って感覚も
「あと残りこれくらいだから…」って想像することも
ないのかなぁと思うと
それもまたおもしろそうだなぁと思っている自分がいる。
まぁ、まだしばらく「私は紙派!」なんて
誰に言うともなく言ってるだろうけど。
話がそれた。
選択するという意識なく結果選択したカタチになるものも
ゆくゆくはどこかにつながっていて
なにかをうみだしたりうみださなかったり…
そう考えるといつも「間が悪い」とか「運が悪い」って
そう思ってしまう私のとあるシーンも
私が選んできた結果かぁ…と想像してみる。
あっ、やっぱり私には逃げ道が必要(笑)
どうやら「運が悪かった」は私には必須
なんて思ったりする。
選べるということ選択肢があるということ
そして先を想像させる時間があるということ。
選択しないということの楽さ
選択しないということの幸せ
それを知っている私の状況は
とても贅沢なことなんだなぁと改めて。
たまには「余命3ヶ月です」と言われた自分を
想像してみるのも必要かもななんて思う。
日々だらだらとなんとなく
時に欲望に忠実過ぎる私には。
リミットを想像してみる…
でもそれはあくまでも想像であって想像でしかなくて
実際の切実さを
そこにまんま存在させることはできないけど。
つらつらと書いてきたけど
なにかちょっと違う気がする。
なにかちょっと惜しい気がする。
なにかちょっとずれてる気がする。
これをちゃんと「これだ!」まで持っていけたら
なにか障害物をぶっこわせる気がするのに
いつも私は途中でぶん投げてしまう。
ここだ、ここを直せ。改善しろ。
と思うのにできてない自分を確認してしまう。
ここだよ。それだよ。どうにかしてみろ。
いつも以上にとっちらかった内容になってしまった…
中途半端にネタバレを避けた結果ってこともあるけど
私の中で文字でアウトプットできるくらい
まとまってないのが原因。
いざ文字にしようと試みて
はっきりとその現状を突きつけられる。
分厚い霧ではなくて見えそうで見えない
いやらしい感じが余計に悔しい。