「わかった気」に潜む落とし穴――本当の理解を目指す教育とは | 福岡県の学習塾コンサルタント|学習塾運営の手引き

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「わかりやすい授業」が評価されるのは、教育現場においてごく当然のことのように思えます。実際、「あの先生の授業はわかりやすい」「塾に行ってから成績が上がった」といった声は、しばしば保護者や生徒から聞かれるものです。しかしながら、その「わかりやすさ」には重大な落とし穴が潜んでいると私は考えます。むしろ、表面的な理解で満足させてしまう授業は、生徒に「わかった気」にさせるという、教育において最も避けるべき「罪」を犯しているのではないでしょうか。

 

生徒に「わかった気にさせる」という行為は、一見すると親切で有益に思えるかもしれません。しかし、それは実際には生徒の思考を停止させ、自ら考える機会を奪う危険な行為でもあります。わかったつもりになった生徒は、その知識を深く掘り下げることなく、「できる自分」という幻想に浸ってしまいます。これはまさに、「心地よい錯覚」と言えるでしょう。

 

さらに厄介なのは、その「錯覚」によって、生徒自身も、またその保護者も「教育がうまくいっている」と信じてしまう点にあります。つまり、誰もその「罪」に気づかないまま、時間だけが過ぎ、生徒の本当の力は育たないままなのです。たとえば、塾や予備校などで「ただ座っているだけで、何となくできるようになった気がする」といった感覚に陥ってしまうことはないでしょうか。これは、生徒の主体的な学びを奪い、「受け身の学習姿勢」を助長するだけであり、決して本質的な理解とは言えません。

 

加えて、「わかりやすい」と言われて満足してしまう教師側にも、大きな問題があります。わかりやすさを追求すること自体は悪いことではありませんが、それによって生徒が自ら思考する機会を失っているとしたら、教育者としての責任は重大です。むしろ、「わかった気」にさせることがどれほど危険かを理解し、本当に生徒が「自分の頭で考えてわかる」よう導く姿勢が求められるのです。

 

本当に必要なのは、「わかったつもり」ではなく、「わかるまで自分で考え抜く」経験です。教師や塾講師は、生徒の「考える力」「問いを立てる力」「粘り強く取り組む姿勢」を育てる存在であるべきです。たとえ授業が難しく感じられても、それが生徒の思考を刺激し、対話や葛藤の中から本質的な理解へとつながるのであれば、その授業こそが本物の学びであると私は思います。

 

教育とは、単なる情報の伝達ではなく、「自分で考える力」を育む営みです。「わかった気」に満足するのではなく、「本当にわかる」まで伴走する教育こそが、これからの時代に求められるのではないでしょうか。生徒をわかった気にさせることは、教育者にとって最も大きな「罪」だという言葉を、私たちはもっと重く受け止めるべきだと強く感じます。