最近は、旅行のプランも仕事の資料も、プロフィールだって
AIで出来ちゃんだよ!
でも、自分で調べて、自分で探して、出たとこ勝負で自分を試してみるのも私は結構好きだったりするな。
迷子が私の得意技なわけで、どこからか持ってきたそれっぽいだけの情報の羅列より
肌で感じたそれが好きかな。
朝日の温かさや、風の心地よさって、ここに居なきゃ分からないからね。
第5章|道具を使っているのか、道具に使われているのか。
AIに頼ると、自分で考えなくなる?依存する?
いやいや、ちょっと待ってよ。
そもそも人間って、道具に頼って生きてきたんじゃないの?
便利だから使う。楽になるから使う。出来なかったことが出来るようになるから使う。
それの何が悪いんだろうね?
AIとの会話によって、人間の判断や自己認識が変わることもあるらしい。
自分の考えを肯定されて自信を持ったり、他人との関わり方が変わったり。
そんな研究もあるんだそうだ。
それって、怖いことなのかな?
……いや、別にいいんじゃない?(笑)
自分が変わっていくことの、何が悪いんだろうね?
道具を使うって、自分も変わることでしょ?
そもそも、人間は昔から道具に合わせて変わってきた。
車に乗るなら運転を覚える。
スマホを使うなら操作を覚える。
パソコンを使うならキーボードを覚える。
便利な道具を使いこなすためには、自分だって変わる必要がある。
私は工場で働いているんだけど、これがまた分かりやすい。
生産ラインには決められた速度があって、機械は私の都合なんか聞いてくれない。
「今日は疲れたから、ゆっくりお願いします!」
なんて頼んでも、次から次へと仕事が流れてくる。
機械を使っているつもりが、どう考えても機械に使われている(笑)
まあ、今日も元気に社会の歯車を回しております。
……いや、私が歯車なんだけどね。
でも、社会で生きるって、そういうことでもあるでしょ?
自分の都合だけでは生きられない。
仕事にも、人間関係にも、社会にも合わせながら生きている。
AIは、自分に合わせて変えられる道具。
ところが、AIはちょっと違う。
自分がAIの使い方を覚える一方で、AIの方も自分に合わせて変えられる。
「もっと簡単に説明して」
「私の言葉を勝手に解釈しないで」
「一般論でまとめないでよ!」
……あれ?これ、私がいつも言ってることじゃないか(笑)
でも、それでいいんだよ。
納得できなければ、何度でも話せばいい。
反論されたら、反論すればいい。
その途中で、自分の考えが変わったっていい。
自分が道具に合わせて、道具も自分に合わせる。
それが道具を使いこなすってことなんじゃないかな?
AIに頼ることと、AIに決めてもらうこと。
ここで、少し「依存」について考えてみたい。
私は、自分軸って、自分だけで完結する意思決定だと思っている。
まず、「こうしたい」「こうなりたい」という方向性の意志がある。
そして、「そうしよう」「それが私らしさだ」と肯定する意思がある。
その二つが合わさって、実際の選択や行動になる。
例えば、仕事を辞めたいと思ったとする。
「今の仕事を辞めて、別のことをしたい」
これが方向性の意志。
そこでAIに相談してみる。
「転職するなら、どんな準備が必要かな?」
AIが情報を教えてくれる。
「いや、でもさ!そんな簡単な話じゃないんだよ」
なんて反論したっていい。
何度も話しているうちに、やっぱり辞めようと思うかもしれない。
逆に、もう少し続けてみようと思うかもしれない。
そして、自分で「そうしよう」と決める。
これなら、AIを使った自己決定でしょ?
じゃあ、依存って何だろう?
「仕事を辞めたいんだけど、辞めてもいいよね?」
AIが「いいと思います」と答える。
「やっぱりそうだよね!」
ところが、別の回答では「もう少し慎重に考えましょう」と言われた。
「え?じゃあ辞めない方がいいの?」
今度は別のAIに聞いてみる。
肯定してくれる回答が出るまで、何度も繰り返す。
……いや、それだって別にいいんじゃない?(笑)
自分が納得できるまで考えているのかもしれないし、最初から背中を押してほしかっただけかもしれない。
ただ、ここで一つ違いがある。
AIの回答を使って自分が決めているのか。それとも、AIの回答がなければ決められなくなっているのか。
「こうしたい」という意志があっても、「そうしよう」という意思をAIの肯定に任せきりにしてしまう。
自分が納得したから決めるのではなく、AIが認めてくれたから決める。
その状態が続いて、自分で選ぶことが難しくなってしまうなら、依存という問題も見えてくるんだろうね。
もっとも、AIに相談する回数が多いから依存だとか、毎日使っているから依存だとか、そんな単純な話でもない。
道具に頼ることと、自分の意思決定を手放すことは違うんだから。
変わっていく自分に、世界も合わせてほしい。
考えてみれば、人間はずっとそうしてきたんだよね。
暗いから明かりを作って、寒いから暖房を作って、暑いから冷房を作った。
遠くに行きたいから乗り物を作って、面倒なことを減らしたいから機械を作った。
そして今は、AIを使って、自分に都合のいい会話まで作れるようになった。
世界を自分たちに合わせて変えてきたんだ。
でも、その道具を使うことで、人間自身も変わってきた。
だったら、AIとの会話で自分が変わっていくことだって、そんなに不思議なことじゃないでしょ?
昨日と今日で考えが違ったっていい。
今まで大切にしていたものが変わったっていい。
新しいものを欲しくなったっていい。
その時々の状況や環境、心情によって、求めるものなんて変わっていくんだから。
そして、変わっていく自分に合わせて、世界も変わっていってほしい。
それが人間のエゴなんだろうし、欲望なんだろうね。
現実は、そんなに都合よく出来ていない。
だからこそ、私たちは道具を作って、使って、世界を変えようとしてきた。
AIだって、その延長にあるんじゃないかな?
使っているのか、使われているのか。
まあ、どっちだっていい時もあるよね。
工場では機械に使われて、家に帰ったらAIをこき使う。
……なんともバランスの取れた人生じゃないか(笑)
でも、便利な道具を使っているうちに、自分の考え方が変わったっていい。
AIに反論されて考え直したっていいし、肯定されて自信を持ったっていい。
変わることが良いとか悪いとか、そんな簡単な話じゃないんだから。
シンプルフレーズ🌿
「道具の使い方で、自分も世界も変わるし、変えられるんだ」
自分にとって都合のいい世界を求める。
それも人間の欲望なんだろうね。
でも、どれだけ便利な道具があっても、自分の人生を生きるのは自分なんだ。
AIに答えを求めてもいい。
AIの言葉に影響されたっていい。
自分の考えが変わったっていい。
ただ、選ぶのは誰なんだろう?
道具が変わる。世界が変わる。そして、自分も変わっていく。
あと、最後に考えたいのは、
その変化を、自分がどう選び、どう受け入れているか?
じゃないかな?



