今回はね・・・
私が味わったと言うか、最高のモヤモヤっていうか・・・
感情を表現できないアレコレを書いている。
呼んでくれたら嬉しいな。
第3章|他人の幸せを見て、モヤモヤするのも欲望だろう
私達は、いつだって誰かと自分を比べている。
あの人は良い車に乗っている。
あの人は立派な家に住んでいる。
あの人は自分より給料が高い。
学校ならテストの順位。
職場なら給料や役職。
結婚しているとか、恋人がいるとか。
比べるものなんて、いくらでもある。
そして、その度に思うんだろうね。
「いいなぁ」「羨ましいなぁ」「自分だって……」
それも、きっと欲望なんだと思う。
誰かが持っているものを見て、自分も欲しくなる。
誰かが楽しそうにしていると、自分も同じような経験をしてみたくなる。
他人から影響を受けて生まれる欲望って、本当に多いんじゃないだろうか?
でもさ?
他人の幸せって、時には残酷なんだよね
ここで、ちょっと私自身の話をしよう。
私は離婚しているわけだけど。
ある時、たまたまSNSを見ていたんだ。
フォローだったか、フォロワーだったか、もう覚えていないけど、そこで元妻の再婚を知ったわけだ。
いやぁ……。
これ以上、他人から与えられるモヤモヤってあるんだろうかね?(笑)
別に、向こうがどうなろうが、何をしようが関係ないさ。
離婚したんだから。
誰と再婚しようが、どこで暮らそうが、それは向こうの人生だ。
分かってる。
分かってるんだけどさ?
当時の私は、独り身になって、衣食住もままならないような環境で生活していた。
生活を立て直すことに必死だった。
そんな時に、元妻が再婚して、海外旅行に行って、順風満帆そうに暮らしている姿をSNSで見てしまう。
……もうね。
言葉にならんね。
何で自分はこんな生活をしているんだろう?
何で向こうはあんなに楽しそうなんだろう?
そんなことを考えたところで、何かが変わるわけじゃない。
相手の幸せと、自分の生活は関係ない。
頭では分かっているんだよ。
でも、感情ってそんなに都合よく出来ていないんだろうね。
見なければ知らなかった。
知らなければ、比べることもなかった。
それなのに、知ってしまったことで、自分の今の生活と比較してしまう。
人の幸せを喜べない自分がいる。
そんな自分にまで、モヤモヤしてしまうこともあるんだろう。
でも、私は思うんだ。
それだって・・・いや、これこそが人間らしい欲望なんじゃないだろうか?
羨ましいから、欲しくなるんだろう?
例えば、友人が新しい車を買ったとする。
自分は今の車で十分満足していたはずなのに、友人の車を見てしまうと、何となく自分も欲しくなる。
同僚が昇給したと聞けば、自分の給料だって昨日まで何の不満もなかったのに、急に物足りなく感じてしまう。
不思議なものだよね。
自分が持っているものは何も変わっていない。
自分の生活だって、昨日と何も変わっていない。
変わったのは、他人の情報を知ったことだけ。
それだけで、満足していたものが物足りなくなってしまう。
欲望って、厄介なものだ。
他人と比べるから苦しくなる。
誰かを羨むから、自分が惨めに感じてしまう。
だから、他人と比べるのはやめましょう!
……なんて、簡単に言う人もいるだろう。
・・・いやいや。
そんなに簡単に出来たら苦労しないって!(笑)
私達は、いつだって誰かと関わって生きている。
職場でも、学校でも、家庭でも。
テレビをつければ誰かの成功が流れてくるし、スマホを開けば誰かの幸せそうな生活が目に入る。
SNSなんて、他人の人生の展示会みたいなものじゃないか。
比べるなって言われたって、比べる材料が山ほどあるんだから。
そりゃあ、比較してしまうこともあるだろうよ。
でも、そのモヤモヤも原動力になるんじゃないかな?
私は、他人から影響される欲望が、必ずしも悪いものだとは思わない。
確かに、苦しくなることはある。
嫉妬することもある。
悔しい思いをすることもあるだろう。
でも、誰かを見て「羨ましい」と思うことは、自分が何を欲しているのかを知るきっかけにもなるんじゃないかな?
良い車に乗っている人を見て、自分も欲しいと思う。
楽しそうに旅行している人を見て、自分も行きたいと思う。
幸せそうに暮らしている人を見て、自分ももっと良い生活がしたいと思う。
それって、向上心にもつながるだろう?
自分もこうなりたい。
自分だって、もっと良くなりたい。
その気持ちが、新しいことを始めるきっかけになるかもしれない。
勉強を始めることもあるだろう。
仕事を頑張ることもあるだろう。
今まで知らなかった世界に興味を持つこともある。
他人との比較から、自分を前に進める欲望が生まれることだってあるんだよ。
そもそも、私達の欲望って、どこから生まれているんだろうね?
もし、たった一人で無人島に暮らしていたら?
誰かの家を羨むこともない。
誰かの給料と比べることもない。
誰かの恋愛や結婚を見て、モヤモヤすることもない。
きっと、食べたい、眠りたい、安全に暮らしたい。
そんな生きるための欲が中心になるんじゃないかな?
でも、私達は一人で生きているわけじゃない。
誰かに出会って、誰かの話を聞いて、誰かの生活を知る。
そこから新しい欲望が生まれていく。
欲望のスタートって、案外、他人から生まれているものなのかもしれないね。
その欲望を、どうするかは自分次第
ただ、私は何でも羨ましがって、何でも欲しがれば良いとは思わない。
誰かが持っているから、自分も欲しい。
誰かが幸せそうだから、自分も同じ生活をしたい。
そればかりを追いかけていたら、いつまでたっても満たされないだろう。
だって、他人の人生なんて、自分のものにはならないんだから。
大切なのは、そこで自分が何を求めているのかだと思う。
羨ましいのは、お金なのか?
自由な時間なのか?
誰かと一緒に暮らすことなのか?
それとも、ただ自分より幸せそうに見えることが悔しいだけなのか?
どれだって良いと思うよ。
嫉妬したって良い。
悔しがったって良い。
羨ましいと思うことだって、別に悪いことじゃない。
ただ、その気持ちを抱えたまま、何を選ぶのか。
誰かを恨むのか。
自分も手に入れるために行動するのか。
それとも、今の自分には必要ないと手放すのか。
選ぶのは、いつだって自分なんだろうね。
私自身、元妻の再婚を知った時のモヤモヤを、綺麗な感情だったなんて言うつもりはない。
そんな立派な人間でもないしね(笑)
ただ、あの時感じた「自分だって、もっと良くなりたい」という欲望は、確かに自分の中にあった。
他人の幸せを見て苦しくなることもある。
でも、その苦しさが、自分の欲望に気付くきっかけになることだってある。
だったら、その欲をどう扱うのか?
他人を見て生まれた欲望でも、自分が行動する理由になったなら、それはもう自分の欲望なんじゃないだろうか。
そして、欲望が本当に強い原動力になるのは、もっと切実な理由がある時なのかもしれない。
私には、家族が生きるために、なりふり構わず行動した時期がある。
欲しいとか、羨ましいとか、そんなことを言っていられない。
ただ、生きるため。
生かすため。
そんな欲望に突き動かされていた時の話だ。



