誰かの特別になりたい。
それは、
きっと誰にでもある願いなんじゃないだろうか?
褒めてもらいたい。
優しくしてもらいたい。
心配してもらいたい。
認めてもらいたい。
誰かの中で、
自分だけは少し特別でありたい。
誰かの一番になりたい。
誰かの想いを、
自分だけに向けてほしい。
そういう欲は、
たぶん誰にでもある。
別に悪いことじゃない。
むしろ、
とても人らしい願いだと思う。
誰かの特別になりたいと願うだけで、本当に満たされるんだろうか?
誰かが自分を特別にしてくれるのを待つ。
好きだと言ってくれるのを待つ。
大切にしてくれるのを待つ。
認めてくれるのを待つ。
それも、もちろん素敵なことだと思う。
でも、
自分が誰かを特別に想うことだって、同じくらい素敵なんじゃないだろうか。
特別にしてもらうことより、特別に想うこと
誰かの特別になれたとして、
その先に何を望むんだろう?
もっと愛してほしい。
もっと見てほしい。
もっと優しくしてほしい。
もっと自分を一番にしてほしい。
そうやって欲しいものは、
いくらでも増えていく。
でも、
自分が誰かを特別に想う気持ちは違う。
その人を大切にしたい。
喜んでほしい。
笑ってほしい。
そばにいたい。
話を聞きたい。
会いたい。
そんな想いは、
誰かに与えられて初めて生まれるものじゃない。
自分の中から出てくる。
ここが私は好きなんだと思う。
誰かを想うと、自分の気持ちが見えてくる
好きな人が出来ると、
自分でも知らなかった自分が出てくる。
こんなことで喜ぶんだ。
こんなことで不安になるんだ。
こんなに会いたいと思うんだ。
こんなに誰かを気にするんだ。
その人を見ているようで、
実は自分の気持ちを見ている。
だから、
誰かを特別に想うことは、
その人のためだけじゃない。
自分が何を大切にしているのかを知る時間でもある。
恋なのか。
愛なのか。
憧れなのか。
執着なのか。
それは分からなくてもいい。
でも、
そこに自分の本当の想いがあるなら、
それは大切にしたらいいと思う。
誰かの一番になることより
誰かの一番になりたい。
その気持ちは分かる。
でも、
誰かの一番になったからって、
自分の価値が決まるわけじゃない。
誰かに選ばれたから、
自分が素敵になるわけでもない。
誰かに愛されたから、
初めて価値が生まれるわけでもない。
むしろ、
自分が誰を大切に想えるのか。
そこに自分らしさが出るんじゃないだろうか。
他の誰かより、
その人に心を渡したい。
他の誰かより、
その人に言葉を渡したい。
自分の時間を使いたい。
自分の気持ちを向けたい。
そう思える相手がいる。
それだけでも、
かなり特別なことだと思う。
待つだけじゃなく、自分の想いを見る
誰かの特別になることを待つ。
それもいい。
でも、
誰かを特別に想える自分を、
もう少し大切にしてもいいんじゃないだろうか?
誰かから貰う想いばかりを見るんじゃなくて、
自分が誰かに向けている想いを見る。
その方が、
自分の気持ちがよく分かる。
自分が何を望んでいるのかも分かる。
誰と一緒にいたいのかも分かる。
何を大切にしたいのかも分かる。
誰かを想うことで、
自分の輪郭が見えてくる。
だから私は、
誰かの特別になることより、
誰かを特別に想える自分の気持ちを、大切にしたい。
誰かから与えられる特別も素敵。
でも、
自分の中から生まれた特別は、
もっと自分らしい。
誰かの一番になる前に、
自分の中で、その人を一番に想えたこと。
それだけでも、
十分に特別なんじゃないだろうか。


