安心を求めるから縛られたい。
違うかな・・・?
もしかしたら、
縛られているから、安心するんじゃないだろうか?
繋がりがある。
誰かと一緒にいる。
期待されている。
必要とされている。
それは時に、重荷で、負担で、最高に苦しい。
でも、それがそのまま安心にもなっている。
この矛盾の中にこそ、
人間らしさってあるんじゃないかと思う。
安心という鎖があるから、私達は自由を夢見ることが出来る。
自分の居場所が欲しいのに、誰かに必要とされたいのに・・・
どこかで、自分のことなんて忘れて無視してほしいって思う。
自分のことを知って欲しいし、見つけて欲しいのに・・・
誰にも見られたくないし、話しかけられたくないって思う。
家があって、服が合って、食事がある環境で生きていきたいけど・・・
その日暮らしのファンタジーな世界にも憧れてしまう。
自由ってなんで自由なんだろうな。
自由って、本当に自由なんだろうか?
「自由になりたい」って、よく言う。
私はいつも言っている。自由を目指して、自由にしたいって・・・
あぁ~なんて中二病なんだろうか・・・
仕事から自由になりたい。
人間関係から自由になりたい。
家族や役割から自由になりたい。
予定も責任も全部なくして、
好きなことだけしていたい。
でもさ。
本当に何もない状態って、
自由なんだろうか?
住む場所がない。
明日食べるものも分からない。
お金もない。
誰も頼れない。
帰る場所もない。
そんな状態で、
「あなたは自由ですよ」
って言われても、きっと開放感なんて感じない。
それはたぶん、自由というより不安や恐怖に近い・・・
だから私は思うんだ。
自由を感じられるのは、安心という土台があるからなんじゃないか。
ジェットコースターが楽しいのは、落ちても大丈夫だと思っているから
昔、職場でこんな話を聞いたことがある。
娯楽っていうのは、安心の上に刺激があるから成立する。
たとえばジェットコースター。
落ちる。
速い。
怖い。
身体は明らかに危険を感じている。
でも楽しい。
なぜなら、
レールがある。
安全バーがある。
整備されている。
ちゃんと戻ってこられる。
どこかで、
「大丈夫だ」
って思っているから。
もしこれが、
ただの紐なしバンジーだったら?パラシュート無しで飛行機から飛び降りろってなったら?
それはもう刺激じゃない。
娯楽でもない。
恐怖でしかない。
そう考えると、
安心って、刺激を楽しむための源泉なんじゃないだろうか。
そして自由っていう感覚も、
何かから解放された刺激だとしたら・・・?
その自由もまた、
安心の上でしか感じられないんじゃないかと思う。
安心って、自分の存在が前提になっていることなのかもしれない
じゃあ、安心って何だろう?
衣食住に困らない。
生命の危機がない。
寝る場所がある。
食べるものがある。
まずはそういうことなんだと思う。
でも、人間関係の安心って、
もう少し違う。
学校に自分の席がある。
職場に自分のロッカーがある。
家に帰れば自分の分の食事がある。
休日の予定に誰かとの約束がある。
「また明日ね」
って言われる。
つまり、
次の時間にも自分がそこにいることを、誰かが前提にしている。
「私はここにいていい」
よりもっと強く、
「私はここにいることになっている」
っていう感覚。
それが安心なのかもしれない。
でも、その安心はそのまま鎖になる
自分の席がある。
だから、行かなきゃいけない。
自分の仕事がある。
だから、休めない。
家族が待っている。
だから、帰らないといけない。
自分がいないと困る人がいる。
だから、離れられない。
安心だったはずの場所が、
そのまま自分を縛る理由にもなる。
不思議だよね。
必要とされたい。
居場所が欲しい。
誰かと繋がっていたい。
そう思って手に入れた安心なのに、
今度は、
「ここから離れられない」
って苦しくなる。
だから、
縛られている事実と、自分で縛っている事実は、どこかで同じ安心に繋がっているんじゃないか?
私はそう思う。
不自由があるから、自由を感じる
仕事があるから、
休日が自由になる。
家庭があるから、
一人の時間が自由になる。
予定があるから、
予定のない一日が特別になる。
誰かとの関係があるから、
一人になる時間に開放感を感じる。
つまり、
不自由があるから、自由を感じられる。
自由そのものを持っているんじゃなくて、
不自由との差を、
「自由だ」
って感じているだけなのかもしれない。
そう考えると、
自由って、
ある意味ただの無いものねだりなのかもしれないね。
安心があるから刺激を求める。
束縛があるから自由を求める。
自由になれば、
今度は安心が欲しくなる。
なんとも人間らしい。
結婚は、本当に自由の墓場なんだろうか?
私は今、結婚相談所を始めようとしている。
だから、
「結婚は自由の墓場」
なんて言葉も、どうしても気になる。
でも私は、結婚そのものが人を不自由にするとは思わない。
結婚したら、
相手の予定。
生活費。
住む場所。
家族。
子供。
自分一人なら考えなくてもよかったものが、
選択肢の中に入ってくる。
だから、
「自由がなくなった」
と感じることはあるだろう。
でも同時に、
帰る場所がある。
自分を待っている人がいる。
自分の未来に、
自分以外の誰かがいる。
それは、
ものすごく大きな安心でもある。
きっと、
「墓場だ」
って言う人は、
手に入れた安心より、
孤独だったから持てていた自由
を見ているんじゃないだろうか。
好きな時間に帰れる。
好きなものを買える。
誰にも相談しなくていい。
好きな場所に行ける。
それを手放したから、
「自由がなくなった」
って感じる。
でも、
その代わりに何を手に入れたのか?
そこを見るか見ないかで、
結婚の景色は大きく変わると思う。
安心という鎖があるから、自由を夢見ることが出来る
私は、
安心と自由は反対じゃないと思う。
安心があるから、
未知へ行ける。
安心があるから、
刺激を楽しめる。
安心があるから、
束縛から離れることを自由だと感じられる。
そして、
その安心を作っているものは、
仕事だったり、
家族だったり、
人との繋がりだったりする。
それは同時に、
自分を縛るものでもある。
だから、
安心するために縛られて、
縛られているから自由を欲しがる。
そして自由になったら、
また安心が欲しくなる。
この矛盾って、
別に解決しなくてもいいんじゃないかな・・・
むしろ、
その矛盾こそが、人間らしさなのかもしれない。
安心という鎖があるから、
私達は今日も、
自由を夢見ることが出来るんだと思う。





