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いつの時も、どうしても謙遜してしまう。
自分を否定したいわけじゃないのに、「いやいやそんなことないですよ」って言いたくなる。
むしろ言っている。
結果を褒められた時に、「普通ですよ」なんてカッコつけたくなる。・・・のは、私だけ?
諦めたら試合はそこで終了らしいですよ?
日本では、謙遜ってある意味ひとつの美学なんだと思う。
誰かに褒められた時に、
「いやいや、私なんて」
「まだまだですよ」
「自分、不器用なんで」
なんて言う。
相手を立てたり、
空気を和らげたり、
関係を上手く回したり。
自分を少し下げることで、
相手への敬意を表すこともある。
だから私は、
謙遜そのものを否定する気はない。
実際、有効な場面は沢山あると思う。
でもさ。
それを自分自身まで信じ始めたら、
ちょっと話は変わってくる。
「出来ない」は悪い言葉じゃない
私は、出来ないことがあるのは悪いことだと思わない。
出来ることは出来ることだけだし、
出来ないことは出来ない。
それでいい。
利き手じゃない方で綺麗な文字を書けと言われても、
正直困る。
練習すれば出来るようになるかもしれない・・・
でも、その時間を使うなら、
利き手でもっと綺麗な文字を書けるように練習した方が、
価値に繋がることだってある。
出来ないことを全部、
出来るようにしなくてもいい。
出来ないなら、
出来る人に任せてもいい。
諦めてもいい。
別の方法を探してもいい。
だから、
「私はこれが苦手だ」
「これは出来ない」
という言葉そのものが悪いわけじゃない。
それはただ、
自分を知るための言葉だから。
問題なのは、「だから私なんて」になること
でも、
「私はこれが苦手だ」
から、
「だから私には無理だ」
になって、
「どうせ自分なんて」
になってしまうと、自分の未来まで一緒に決め始めてしまう。
出来ないことを認めるのと、
自分そのものを否定するのは違う。
苦手なことがある。
出来ないことがある。
失敗することがある。
それと、
「私はダメな人間だ」
は別の話だ。
なのに私達は、つい全部を一緒にしてしまう。
自分の言葉は、自分も聞いている
別に「言葉にすれば何でも叶う」なんて話をしたいわけじゃない。
スピ的な引き寄せでもない。
「気を付けます」と言ったからって、
本当にミスが無くなるわけじゃない。
でも、
「どうせ出来ない」
「自分には無理」
「向いてないから仕方ない」
って何度も自分に言っていたら、挑戦しない理由にはなる。
立ち上がらない理由にもなる。
諦める理由にもなる。
まだ本当はやってみたいのに、
自分で自分に、
終わるための理由を渡してしまう。
それは少し、
もったいないんじゃないだろうか?
「諦めたらそこで試合終了ですよ」
有名な言葉だけど、本当にその通りだと思う。
出来ないから終わりじゃない。
自分で終わりにした時に、終わるんだと思う。
願う前から、自分を消さなくていい
やってみたい。
行ってみたい。
知りたい。
会ってみたい。
欲しい。
好き。
そういう気持ちは、まだ能力の話じゃない。
出来るかどうかは、そのあと考えればいい。
練習するのか。
誰かに任せるのか。
別のやり方を探すのか。
やっぱり諦めるのか。
それは後から選べる。
でも最初から、
「自分なんて」って言ってしまったら、
やりたい自分まで黙ってしまう。
私はそれが嫌だな。
出来ないことは、認めればいい
出来ないことは出来ない。
苦手なものは苦手。
嫌いなものは嫌い。
それを無理に好きになる必要も、
出来るようになる必要もない。
自分の限界を知ることは、
自分を否定することじゃない。
むしろ、
どこに自分の時間や労力を使うのかを決めるために必要なことだと思う。
だから、
出来ないことは認めればいい。
でも、
「自分なんて」で、やりたい自分まで黙らせる必要はない。
まだやってみたいなら、
その声くらいは残しておきたい。
自分の選択肢を、自分の言葉で先に捨ててしまわないように。
「自分なんて」で、自分の願いまで小さくしなくていい。




