誰かのせいにしたい時もある。

「自分は悪くない」って言いたい時もある。

 

逆に、「全部自分が悪かった」って、自分を責めたくなる時もある。

 

でもさ、結局のところ、私達が苦しいのは、欲しかった結果にならなかったからなんだと思う。

 

誰かが悪いわけじゃない。

……なんて綺麗な話だけをしたいわけじゃないよ。

 

実際の現場では、悪者が必要な時だってある。

 

  誰かが責任を負わなきゃいけない時もある

仕事でミスが起きた。

誰かが困った。

誰かが迷惑を受けた。

損害が出た。

 

だったら、誰が何をしたのか確認する必要はあるし、叱られることもある。

 

怒られることもある。

注意されることもある。

時には、誰かが責任を取らなきゃいけない。

 

「誰も悪くありません。みんな仲良くしましょう」

なんて話だけで現場は回らない。

 

誰かが被害を受けたなら、誰かが責任を負う必要がある時だってある。

私達はそんな綺麗な世界だけで生きているわけじゃない。

  望んだ結果にならないから、理由が欲しくなる

そもそも私達が行動するのは、何か欲しいものがあるからだ。

 

大切なものを守りたい。

好きな人に振り向いてもらいたい。

欲しいものを手に入れたい。

自分が憧れる姿になりたい。

夢でも目標でも願望でもいい。

 

何か目指すものがあるから、人は動ける。

 

行動することって、とても素敵なことだと思う。

だって、何もしなければ結果すら出ないんだから。

 

でも、動いたからって、必ず欲しかった結果になるわけじゃない。

 

思った通りにいかない。

頑張ったのに届かない。

自分より後から始めた誰かが、あっさり手に入れている。

 

そんなことだってある。

 

悔しいでしょ?

面白くないでしょ?

 

だから理由が欲しくなる。

「あいつが邪魔したから」

「環境が悪かったから」

「自分がダメだったから」

上手くいかなかった現実を、そのまま受け入れるには痛すぎるから、誰かを悪者にしたくなる。

それが他人の時もあるし、自分自身の時もある。

  大いに愚痴ったらいいじゃないか

私は、それを否定する気はない。

大いに愚痴ったらいい。

 

「あいつマジでムカつく!」

って言ったらいい。

 

仲の良い人に文句を言って、悪口を言って、何度同じ話をしたっていい。

 

本人にぶつける必要なんてない。

違う場所で罵ったっていい。

 

よく聞く話・・・男女論って言うらしいよ?

女性の愚痴や不満は「解決してほしいんじゃない、ただ聞いてほしいんだ」なんて言うじゃない。

男性はそれが分からないから、

「だったらこうすれば?」

なんて解決策を出してしまって、

「そういうことじゃない!」

ってなる。

 

まあ、どっちが正しいとかそんな話じゃない。

 

吐き出したい人もいれば、解決したい人もいる。

黙っていたい人もいれば、一晩中同じ話をしたい人もいる。

 

あなたにとって、私にとって、誰かにとって、必要なステップが違うだけなんだ。

何度でも語って、大いに燃え上がらせたらいい。

鎮火するまで時間がかかるかもしれない。

 

それでもいいじゃないか?

 

だって、それだけ傷ついて、それだけ苦しかったんだから。

「もう忘れろよ」

なんて言う方が、よっぽどナンセンスだと思う。

  でもさ、怒ってても腹は減る

どれだけ腹が立ってても、腹は減る。

どれだけ愚痴ってても、喉は渇く。

 

誰かのせいにしても。

誰かに悪意を押し付けられても。

自分のせいにされても。

誰かの身代わりになっても。

犠牲になって、甘んじて身を投げ出したとしても。

 

それでも腹は減る。

 

散々悪口を言ったあとに、

「で、何食べる?」

ってなる。

 

怒りが消えたわけじゃない。

許したわけでもない。

納得したわけでもない。

 

でも一瞬、水を差されるんだよ。

「あいつマジで許せん!」

って言っていたのに、

「ラーメンにする?」

なんて聞かれたら、

「いや、今日は唐揚げかな?」

なんて考える。

その瞬間、ほんの少しだけ別のことを考えている。

 

それでいいんだと思う・・・よ?

 

  前を向かなくても、先には進む

「前を向け!」

なんて言わなくていい。

 

「いつまでも引きずるな!」

なんて言わなくていい。

 

怒ったままでいい。

許せないままでいい。

誰かのせいにしたままだっていい。

 

それでも人は飯を食う。

風呂に入る。

眠る。

仕事に行く。

誰かと話す。

何かを見て笑う。

 

そしてまた思い出して腹が立つ。

・・・それでも時間は先に進む。

 

だから、いつか「あの時」になる。

過去になる。

経験になる。

失敗を学ぶって、私はきっとそういうことなんだと思う。

 

「さあ反省しましょう」

「失敗から学びましょう」

なんて、そんな綺麗に切り替わるわけじゃない。

 

ただ、生きているうちに、似た場面が来る。

 

その時に、

「あ、これ前にもあったな」

って思う。

 

そこで少し違う選択が出来たなら、あの時の失敗は経験になったんだろう。

  『ダメだった』を抱えたままでもいい

誰かを責めて。

自分を責めて。

誰かを悪者にして。

仲の良い人に文句を言って。

散々愚痴って。

 

それで気持ちが少し満足するなら、それだって必要な儀式なんだよ。

 

一回、思いっきり吐き出せばいい。

何回でも吐き出せばいい。

 

そうやっているうちに、目の前にある

「ダメだった」

っていう現実を、少しずつ受け入れられる時が来る。

 

受け入れるって、許すことじゃない。

忘れることでもない。

納得することでもない。

 

「こうなったんだな」

って、起きたことを起きたこととして持てるようになるだけでも十分だと思う。

 

そして、そのあとに、

「で、これからどうしようか?」

って明日のことを考えられたら、それでいい。

 

だってさ。

どれだけ怒ってても。

どれだけ許せなくても。

どれだけ悔しくても。

結局、お腹減るからね。

怒りも、悔しさも、許せない気持ちも消えなくていい。
それでも今日、お腹が減ったなら・・・何を食べますか?