どんなに素敵な言葉だったとしても、誰に言われるかで全然違う。
「好きだよ」
知らない人に言われるのと、好きな人に言われるのでは意味が違う。
「大丈夫だよ」
どこかの誰かが、不特定多数に向けて言っているのと、自分が信頼している人が、自分に向けて言ってくれるのでは重さが違う。
結局、何を言うか?じゃない。
誰が言うか?なんだと思う。
そして同時に、誰に聞かせるか?なんだ。
何を言うか?聞くか?じゃない。誰が言って、誰に聞かせるか?
私達は誰の言葉でも平等に受け取っているわけじゃない。
好きな人。
尊敬している人。
認めて欲しい人。
信頼している人。
そういう、自分にとって特別な人の言葉だから聞く。
興味のない人に褒められても、案外すぐ忘れる。
嫌いな人から正しいことを言われても、「お前に言われたくない」って反感を持つこともある。
つまり、人は言葉を選んでいるようで、実際には、言葉を受け取りたい相手を選んでいる。
恋愛なんて、一番分かりやすい。
好きな人の前では、格好よくありたい。
可愛くありたい。
優しくありたい。
面白くありたい。
大いに演じたらいい。
プロフィールを良く見せて、写真を選んで、服を選んで、髪を整えて、言葉を選ぶ。
好きな人の前で、一番いい自分を見せたいのが恋なんだ。
何が悪い?
むしろ、努力を捨てるなよって私は思う。
「ありのままの私を好きになって」
そんな簡単な話じゃない。
自分を自分で好きになって、自分が好きになれる自分であろうとする。
いい男であろうとする。
いい女であろうとする。
その努力をした上で、それでも人間だから、いつか漏れる。
ダサい自分も出る。
弱い自分も出る。
怠ける自分も出る。
演じきれない自分が、にじむ。こぼれる。
その時に、その部分まで見た相手から、
「それでも好きだよ」
って言われたら嬉しい。
それは求めるものじゃない。
祈るものなんだと思う。
誰かに言われる「好き」じゃない。
あなたに言われたい「好き」がある。
だからこそ、誰が言うか?なんだ。
そして、言う側も同じだ。
職場では職場の私がいる。
友人の前ではバカな私がいる。
シンプルフレーズとして真面目に言葉を紡ぐ私もいる。
一人の女性と会う時には、少しでも紳士であろうとする私がいる。
全部違う。
でも全部私だ。
その時々で、見せたい相手が違う。
聞いて欲しい人が違う。
返して欲しい言葉が違う。
だから、誰に聞かせるか?も大切なんだ。
同じ言葉でも、聞かせる相手によって意味が変わる。
自分が、誰かの言葉を待っているに、誰かもあなたの言葉を待っている
あなたの何気ない「大丈夫」を待っている人がいるかもしれない。
あなたの「頑張ったね」が欲しい人がいるかもしれない。
あなたの「好きだよ」じゃないと意味がない人がいるかもしれない。
言葉そのものが人を救うんじゃない。
人と人との関係が、言葉に意味を与える。
何を言うか?何を聞くか?じゃない。
誰が言って、誰に聞かせるか?
もし、あなたの大切な人が、あなたの言葉を待っていたとしたら?
あなたの一言が、その人にとってのクモの糸になることだってある。
だから、伝えられる時に伝えたらいい。
あなたの言葉を待っている人がいるかもしれないから。

