結局、
「そんなの言葉遊びでしょ?」
って言われるかもしれない。
でも、私は思う。
だから何?
って。
だって、人は言葉に散々影響されながら生きているんだから。
自分を自由に出来る言葉を使ったらいいじゃないか?
好きな自分で生きていく。
好きなコトをして生きていく。
自分のやりたいように生きていく。
そんなことを言うのは簡単だけど、実際にやるのは難しい。
頭では分かっていても、現実で実行するのとはワケが違う。
私達は一人では生きていけない。
人との繋がりを求めるし、誰かと関わる以上、その場に合わせたり、相手に合わせたり、自分の立場を守ったりする。
そうやって生きていると、いつの間にか増えていく。
「しなきゃいけない」
「ねばならない」
「そうしないとダメ」
こういう言葉が・・・
もちろん、必要な時もあると思う。
仕事なら仕事のルールがあるし、人間関係には人間関係の距離感がある。
好き勝手だけで生きていけるわけじゃない。
でもね。
必要だからって、ワザワザ自分の中まで拘束しなくても良くないか?
「しなきゃいけない」
「ねばならない」
「そうしないとダメ」
なんて言葉で、自分まで縛る必要なんかない。
だったら、
「こうしたい」
「それがしたい」
「それならしてもいい」
って言えば良いじゃないか?
結局、ただの言葉遊びなのかもしれない。
でも、私達って言葉にめちゃくちゃ影響される。
仕事中に「疲れた」って言ったら、余計に疲れた気がする。
「帰りたい」って言い続けたら、意識はずっと帰りたい方向に向いていく。
「お腹すいた」って言ったら、急に腹が減った気がしてくるし、
「美味しそう!」って言われたら、何となく美味しそうに見えてくる。
他人の言葉にだってそうだ。
「あの人嫌いなんだよね」って言われたら、何となく悪い部分が気になってくる。
「この曲めっちゃ良いよ!」って言われたら、聞いてみたくなる。
「あの人素敵だよ」って言われたら、今まで気にならなかった人が少し魅力的に見えたりする。
悲しいかな、人は言葉に翻弄される生き物なんだろう。
だったら、その性質を自分のために使ったらいいじゃないか?
「疲れた」
で終わるんじゃなく、
「疲れたけど、あと2日」
「今日一日なんて、終わってみればあっという間」
「週末何しようかな」
って、その次に言葉を置けばいい。
疲れている事実は変わらない。
仕事の時間も変わらない。
でも、意識の向く方向は変わる。
「今つらい」
から、
「あと少し」
「終わった後」
「次の楽しみ」
に変わる。
これって、十分現実的じゃないだろうか?
何でもかんでも、
「なんとかなる!」
「私は元気!」
「全部うまくいく!」
なんて言えば良いって話じゃない。
そんな実感の無い言葉を並べたって、自分が一番信用してないんだから意味がない。
ちゃんとリアルに感じられる言葉を使う。
「疲れた。でもあと1時間」
「行きたくない。でも今日は行く」
「面倒くさい。でも終わったら楽になる」
それで良い。
事実を否定しない。
でも、その事実の次に何を見るかは自分で決める。
昔から、
暑いストーブの上にいる時間は長く感じるのに、楽しい時間はあっという間に感じる。
なんて話がある。
一般にアインシュタインに帰される有名な逸話。
「楽しい相手と過ごす長い時間は短く感じ、熱いストーブの上の短い時間は長く感じる。それが相対性だ」
というもの。ただし、これは物理学として相対性理論を説明したものではなく、時間感覚の比喩として広まった逸話。
何と言うことでしょう!?
相対性だそうですよ!
時間は同じなのに、感覚は変わるらしいじゃないですか(笑)
だったら、同じ現実でも、使う言葉で感覚が変わるのは別に不思議じゃない。
「あと一時間もある」
と、
「あと一時間で終わる」
時計は同じ。
現実も同じ。
でも、感じ方は全然違う。
だったら私は後者を選ぶ。
「やらなきゃ」
じゃなく、
「今日はこれをやる」
「しないとダメ」
じゃなく、
「これにする」
「ねばならない」
じゃなく、
「私はこうしたい」
自分が発した言葉に自分が影響されるなら、
自分を縛る言葉を使うより、
自分を自由にする言葉を使ったらいい。
ただの言葉遊びで良いじゃないか!
お金もかからない。
誰にも迷惑をかけない。
一人で勝手に言えばいい。
頭の中でも良い。
ノートに書いても良い。
独り言でも良い。
自分の世界くらい、自分で使う言葉を選んだら良い。
「しなきゃいけない」
しかなかった場所に、
「したい」
「やってみたい」
「今日はこれにする」
「それならしてもいい」
っていう言葉を増やしていく。
そうやって、少しずつ選択肢を増やしていく。
言葉を変えたからって、現実そのものが魔法みたいに変わるわけじゃない。
でも、自分が現実のどこを見るかは変えられる。
だったら、
自分を縛る言葉を使うくらいなら、
自分を自由に出来る言葉を使ったらいいじゃないか?
私は、そう思うね。


