「学校に行きたくない」
「仕事に行きたくない」
この言葉は、なぜこんなに誤解されるんだろう。
怠けてる。
甘えてる。
逃げてる。
根性がない。
そんなふうに見られてしまうことが多いから、言えなくなる。
でも私は思う。
「行きたくない」って、本当にそれだけなのかな?
他人を知る。人を知るための最初の一言
誰だって、人に分かってもらいたい。
誰だって、誰かに知ってもらいたい。
でも、分かってもらうための表現って難しい、言葉選びも、伝え方も、関係も、何もかもが難しい。
自分のことだって、全部理解することなんて出来ないんだ。
嫌な事も、好きなことも、全部明確に言葉にできる人なんて居ない。
少なくとも、私のであってきた人の中で、ちゃんと言える人は居なかった。
でも、分かって欲しい気持ちはある。知ってもらいたい感情もある。
だからさ、それを知ってあげるためには、その人の些細な言葉を逃さないことなんだろうと思うかな。
「○○たい」は、その時の感情なんだと思う
私は「○○たい!」っていう言葉が好きだ。
食べたい。
遊びたい。
会いたい。
逃げたい。
認められたい。
分かってほしい。
理由や動機はその時々で違うだろうけど、「○○たい!」には、その瞬間の欲望や感情が表れていると思う。
だから、
「学校に行きたくない」
「仕事に行きたくない」
にも、何かがある。
ただ、「行きたくない」は少し特殊だと思うんだ。
旅行に行きたいなら、旅行へ行く。
会いたいなら、会いに行く。
自分の行為へ向かう「たい!」がある。
でも「行きたくない」は、行動するための言葉じゃない。
怖いのかもしれない。
逃げたいのかもしれない。
誰かに気付いてほしいのかもしれない。
認めてほしいのかもしれない。
もしかしたら、本人にだって何が嫌なのか分からないのかもしれない。
それでも何かを伝えたい。
その時、最初に出てくる言葉が、
「行きたくない」
なんじゃないかな?って思う。
本当に言いたいことは、最初から言えない
例えば、いじめを受けている子がいたとして。
その子が最初から、
「学校でこんないじめを受けていて、怖くて限界だから助けてほしい」
なんて説明できるだろうか?
怖いだろう。
恥ずかしいかもしれない。
親に心配をかけたくないかもしれない。
言ったらもっと酷くなると思っているかもしれない。
だから言えない。
でも、学校には行けない。
そこでようやく出てきた言葉が、
「学校に行きたくない」
なのかもしれない。
だったら、この言葉は「答え」じゃないんだよね。
まだ他人には見せられない。
上手く言えない。
分かってもらえるかも分からない。
でも、私の中には何かあるよ!
その存在を初めて外に出した言葉なのかもしれない。
だから私は「希望」だと思いたい
もちろん、
「行きたくない=深刻な問題がある」
と決めつけたいわけじゃない。
単純に眠いだけかもしれない(笑)
面倒くさい。
ゲームしたい。
今日は何となく嫌だ。
それだって立派な「行きたくない」だ。
だから、理由はまだ分からない。
分からないからこそ、その先がある。
「怠けるな」
「みんな嫌でも行ってる」
「甘えるな」
そこで答えを決めてしまったら、会話は終わってしまう。
でも、
「何かあるのかな?」
と思えたら、そこから始められる。
私が言う「希望」は、本人にとっての明るい未来って意味じゃない。
本人は絶望の中にいるかもしれない。
それでも「行きたくない」と誰かに言えた。
その言葉を聞いた誰かが、その人を理解できる可能性が生まれた。
私は、その可能性を「希望」と呼びたい。
「助けて」は、最初から「助けて」じゃない
人が本当に苦しい時、
ちゃんと「助けて」って言えるんだろうか?
「行きたくない」
「帰りたい」
「もういい」
「別に」
「何でもない」
本当に伝えたい言葉とは、全然違う言葉が最初に出てくることだってあると思う。
だから、言葉だけを見て答えを決めたくない。
その奥に何があるのかなんて、本人にしか分からない。
本人にだって、まだ分からないかもしれない。
それでも言葉が出た。
だったら、そこが最初の一歩なんじゃないかな。
「行きたくない」は、終わりの言葉じゃない。
まだ言葉に出来ない「何か」があることを、誰かに見せる最初の言葉なのかもしれない。
だから私は、
「行きたくない」と言われた時、
その言葉を簡単に否定したくない。
その奥にある「○○たい!」が何なのかを、勝手に決める必要もない。
ただ、
「何かあるんだな」
って思えたらいい。
その人を理解するための入口が、まだ残っている。
それだけで私は、
十分に【希望】なんだと思う。




