自分の人生に意味を持たせるのは自分自身だ!

なんてよく聞く言葉。

でも、意味を持たせるとか言う前に、消してしまいたくて・・・忘れてしまいたい過去何て誰でもあるんじゃない?

 

少なくとも私にはあるよ。

黒歴史?数えきれないね・・・

意味を与えるより、消してしまいたいさ

無意味から有意味へ~意味があるから人生になる

 

その人生っていう道のりを、どう見て、何を思って、何を感じるのか。

そして、そこに意味を持たせるのは自分だ。

私は最近、そんなことを考えていた。

人生を振り返る時って、どうしたって自分の感情や記憶に引っ張られる。

 

嫌だったこと、辛かったこと、失敗したことばかり思い出しながら振り返れば、

「なんて過酷で、辛くて、残念な人生だったんだろう」

って思うだろう。

 

逆に、楽しかったことや嬉しかったことを思いながら振り返ることが出来れば、

「まぁ、悪くない道のりだったな」

くらいには思えるかもしれない。

 

結局、同じ人生でも、どう見るかで随分変わってしまう。

だからこそ私は、「見る」っていう行為そのものが大切なんじゃないかと思う。

 

  消せるなら、四の五の言わずに消す

今までの道のりから目をそらしたくなる気持ちは、痛いほど分かる。

私だって、忘れたい過去なんて枚挙に暇がない。

黒歴史なんて山ほどある。

 

例えば、若い頃。

酔っ払って道路で寝てしまって、起きたらゲロまみれ。

 

……うん。

最悪だね。

完全なる黒歴史。

 

出来ることなら記憶ごと消してしまいたい。

 

「過去も大切な経験です」

なんて言われても、

いや、消せるなら消すよ。

 

四の五の言わずに消す。

 

でも、消えないんだよ。

これが厄介なんだ。

忘れたつもりでも、ある時突然思い出す。

 

しかも、そういう時ほど思考はネガティブに走って、頭の中でクルクル回る。

「あー、最悪だったな」

「なんであんなことしたんだろう」

って。

 

だったらもう、見るしかない。

 

  最悪には、最悪という意味を持たせればいい

私は別に、過去に良い意味を持たせようなんて思っていない。

 

悪いことには、悪い意味でいい。

失敗は失敗。

最悪だったことは最悪。

恥ずかしかったことは恥ずかしい。

 

それでいい。

 

大切なのは、良い意味に変えることじゃない。

無意味だったものに、意味を持たせること。

 

「あれは最悪だった」

これだって立派な意味だ。

 

「あれは二度と繰り返したくない」

これも意味。

 

「あれで酒の限界を知った」

これも意味。

 

「あの頃は若かったな」

って、笑い話になるなら、それも意味。

 

別に武勇伝にしなくてもいい。

美談にしなくてもいい。

正当化なんてしなくていい。

 

ただ、

「あれは何だったのか?」

って、自分で見て、自分で意味を持たせればいい。

 

私のゲロまみれ事件だって、出来事そのものは今でも最悪だ。

でも今では、飲みすぎ注意の経験でもあるし、酒を知った経験でもあるし、若気の至りの笑い話でもある。

 

最悪だった出来事が、善い出来事に変わったわけじゃない。

 

ただ、

無意味じゃなくなった。

 

  意味を持たせるから、道のりは人生になる

たぶん、ここなんだと思う。

 

人は生まれてから死ぬまで、ずっと何かを経験している。

働いた。

失敗した。

誰かを好きになった。

別れた。

傷ついた。

笑った。

泣いた。

後悔した。

ただ、それだけなら出来事が並んでいるだけだ。

 

時間が流れて、道を歩いてきただけ。

 

でも、

「あれは私にとって何だったんだろう」

「私はあの時、何を感じていたんだろう」

「今の私は、あの出来事をどう思うんだろう」

そうやって見つめた時に、初めて意味が生まれる。

 

そして意味を持った時、

ただ歩いてきただけの道のりを、

「私の人生だった」

って呼べるようになるんじゃないかな?

だから私は、目をそらしたままの出来事って、まだ人生になっていない気がする。

消したいだけの黒歴史。

触れたくない過去。

思い出したくない出来事。

そこには、まだ自分の意味がない。

 

でも、

「くそっ」

って思いながらでも見る。

 

「このやろー」

って思いながらでも掘り返す。

 

「本当に最悪だったな」

って言いながらでも見る。

 

そうやって意味を持たせた時に、ようやく自分の道のりの中に置くことが出来る。

 

  人生に価値を求めなくてもいい

意味と価値は違うと思う。

 

意味は、自分で持たせることが出来る。

 

でも価値って、たぶん他人との関係の中で生まれる。

必要とされる。

評価される。

交換される。

誰かが「欲しい」と思う。

 

そういう時に価値は生まれる。

 

だから、

「私の人生には価値があったのか?」

なんて考えなくてもいいんじゃないか?

 

誰かの役に立ったか?

何かを残したか?

成功したか?

認められたか?

 

そんなことを人生そのものに求めなくてもいい。

 

  人生に必要なのは、価値じゃなくて意味なんじゃないかな。

 

意味なら、自分で持たせることが出来る。

良い意味でもいい。

悪い意味でもいい。

最悪でもいい。

くだらなくてもいい。

無意味だったものを、有意味に出来る。

 

そして、その意味の積み重ねが、

ただ歩いてきただけの道のりを、

人生にしていく。

 

だから、最後に自分の歩いてきた道のりを見た時に、

「色々あったな」

「最悪なこともあったな」

「楽しかったこともあったな」

「でも、まぁ、全部私の人生だったな」

って言えたら、

それで善く生きたって言えるんじゃないかな?

 

それを人生って呼ぶんだと思うよ。

少なくとも私は、そう思いたい。

まぁ、本当に消せる黒歴史があるなら、

意味なんて持たせずに、迷わず消すけどね。

 

だから、「自分の人生に価値を求めるな!」って言いたいね。