私には信じたいものがある。
大切なモノもある。
それは矜持なのか、信念なのか、それとも単なるわがままなのか?
よく分からないけれど、誰にだって一つや二つくらい、他人に触られたくない部分があると思う。
知られたくないこと。
思い出したくないこと。
否定されたくないこと。
人生をそれなりに生きていれば、失敗の一つや二つあるし、後悔なんて無限にあるんだからね。
私にだって、人には言いたくないことなんて沢山あるわさ(笑)
でも、それと同じように、
誰に否定されても譲りたくないものもある。
私には、私だけの譲れないものがある
今までの経験や体験から出来上がった考え方。
好き嫌いも、人との距離感も、何を大切にするのかも、全部それまで生きてきた私が作ってきた価値観なんだと思う。
私は基本的に人を嫌いにはならない。
でも、馴染めない人や仲良くなれない人はいる。
物はなるべく持ちたくないから、簡易で処分しやすいものを選ぶ。
そして、誰かが手を伸ばしていたら、私はその手を掴みたいと思ってしまう。
悲しみや苦しみの中にいる人すべてを救えるなんて思っていない。
でも、私の目に入って、手を伸ばせる距離なら、手を伸ばしたい。
そんな本当に些細なものが、私にとっての譲れない部分なんだと思う。
誰かに否定されても関係ない。
全員に理解してもらう必要もない。
それが私らしさなら、私は私の価値観を優先して生きたい。
そして、もしどこかに、私だけの特別を理解して、共感してくれる人がいるのなら、
その人がきっと、私にとっての特別なんだろう。
自分を否定することも、自分を守る方法なのかもしれない
でも、自分には大切なものなんてない。
譲れない信念なんてない。
そう思っている人もいるだろう。
周囲から否定され続けて、自分が間違っている、自分が悪いと思い続けていたら、自分の何かを信じることだって難しくなる。
でも、本当に何もないのかな?
踏み込まれたくない場所がある。
聞かれたくないことがある。
否定されたら傷つく部分がある。
それだって、
自分が守ろうとしている大切なものなんじゃないかな?
自分を否定することすら、自分の弱い部分をこれ以上傷つけられないための守り方なのかもしれない。
それも含めて、自分にしか分からない大切なものがある。
私は、そういうものを「矜持」と呼ぶのかな?って思っている。
それでも、超えてくる人がいる
面白いのは、そんな自分だけの譲れないものですら、簡単に超えてくる存在がいること。
今まで誰にも話したくなかったことなのに、
この人には伝えたい。
誰にも理解されなくていいと思っていたのに、
この人には分かってほしい。
絶対に曲げたくなかった自分の考えなのに、
この人の言葉なら、もう一度考えてみたい。
それは、自分を捨てることとは少し違うと思う。
自分が積み上げてきた価値観やプライドより、その人との関係の方が大切になっただけ。
大切で特別な存在だから、自分の隠したい部分まで伝えたくなる。
理解してくれるかもしれないと思えるから。
自分の意見を曲げてでも、その人の見ている世界を見てみたくなる。
その人の存在そのものが、自分の想いを超えてしまったから。
そんな人を「運命」と呼ぶのかもしれない
価値観なんて、簡単には変わらない。
だって、それまでの人生で積み重ねてきたものだから。
だからこそ、それを変えてしまうほどの誰かとの出会いには、とてつもない力がある。
私達の譲れないモノも、大切なモノも、信念も、プライドも。
それ以上に大切だと思える存在は、簡単に乗り越えてくる。
伝えたい。
分かってほしい。
共感したい。
そして、その人のことも知りたい。
そんなふうに、自分だけだった世界に誰かを入れてみたいと思える。
自分を変えてくれる人ではなく、
自分から変わってもいいと思わせてしまう人。
そんな人に出会えたのなら……
少しくらい青臭くてもいいじゃない。
きっと、そういう出会いを【運命】って呼ぶんだよ。きっと。


