人生は取捨選択の連続。

常に何かを選んで、決めて、時間を進めていく。

 

その時の基準って、なんだろうね?

好きだから選ぶ。
嫌いだから選ばない。
必要だから残す。
要らないから捨てる。

 

まあ、分かりやすい。

 

でも、そのどっちでもないモノってあるじゃない?

「特別好きじゃないけど、別に嫌じゃない」

私は、この感情って結構大事なんじゃないかと思うんだ。

 

何気なく選んでいる自分を発見する話

私には結構ある。好きでも嫌いでもない。

どうでもいいわけでもない。

かといって、特別でもない・・・微妙とまではいわないけど

 

特別好きじゃないし、嫌いとは思は無いし、普通なコト。

麦茶とか

ポップコーンとか

お笑い芸人とか

冷蔵庫の種類とか

一人で食べる晩御飯とか・・・

そういうの、別に適当だけど嫌いじゃないし、特別好きじゃないみたいな?ね?

  「好き」って、どこから来たんだろう?

そもそも、好きになる理由ってなんだろうね?

好みって、どこから生まれるんだろう?

 

食べ物なんか分かりやすい。

家庭でよく食べていた料理。
親が美味しそうに食べていたモノ。
子どもの頃から何度も食卓に並んでいたモノ。

 

もちろん、それだけで好みが決まるわけじゃない。

 

それでも、ある程度は影響されるだろう。

だって、好きなモノって誰かに伝えたくなるじゃない?

 

親が刺身好きなら、

「美味しいよ!食べてみな!」

って子どもにも食べさせるだろうし、

 

逆に親が嫌いなモノなら、

「私はこれ苦手なんだよね」

なんて話もする。

 

人間関係だって似たようなところがある。

自分の大切な人が誰かを好きなら、その人に好印象を持ちやすい。

 

逆に大切な人から、

「あの人、本当に嫌い!」

なんて話を延々と聞いていたら、一度も会ったことがないのに警戒することだってあるだろう。

 

つまり、私達の「好き」と「嫌い」には、自分だけではなく、今まで関わってきた人や環境の影響も混ざっている。

それも含めて自分なんだけどね。

 

  じゃあ、「普通」は?

そこで気になった。

「別に嫌じゃないよ」

っていう感情。

 

好きってほどでもない。
嫌いでもない。
普通。

この何ともハッキリしない感情(笑)

 

でも、ここにその人のカラーが出るんじゃないかな?

 

例えば、麦茶。

「麦茶が大好きです!」

って言うほどでもない。

かといって、

「麦茶なんて絶対飲まない!」

でもない。

 

冷蔵庫を開けて麦茶があれば普通に飲む。

水と麦茶があったら、なんとなく麦茶を取る。

 

「なんで?」

って聞かれても、

「いや……別に嫌じゃないから」

くらいしか出てこない。

 

でも毎回、麦茶を選んでいる。

それって面白くない?

 

  理由より先に、自分が選んでいる

好きなモノには理由をつけられる。

嫌いなモノにも理由をつけられる。

 

でも、

「なんとなく、こっち」

には、たいした理由がない。

 

もちろん本当は、過去の経験や習慣なんかに影響されているのかもしれない。

 

それでも、その瞬間の自分はそんなこと考えていない。

服を選ぶ時。

ご飯を選ぶ時。

いつも座る席。

休日に向かう場所。

人との距離感。

 

どっちでもいいはずなのに、気が付けばいつも似たような方を選んでいる。

 

「なぜ?」

なんて考えていない。

 

ただ、こっち。

私は、こういう選択に意外とその人が出ている気がするんだ。

  自分らしさって、そんなものかもしれない

私達は「自分らしさ」を探そうとすると、

何が好き?
何が嫌い?
何を大切にしている?
どんな価値観を持っている?

そんなハッキリした答えを探したがる。

 

でも、自分らしさってそんな立派な看板じゃないのかもしれない。

 

むしろ、

何も考えずに手に取ったモノ。

なんとなく選んだ服。

気が付けばいつも座っている場所。

別に大好きじゃないのに、ずっと使っているモノ。

 

「好きじゃないけど、嫌じゃない」

そうやって理由に左右されず、自然に選び続けているモノ。

 

その小さな選択を並べてみたら、

「ああ、私ってこういう人なんだ」

って見えてくるのかもしれない。

 

自分らしくしようとしなくていい。

だって、自分らしくしようと思った瞬間、

「自分らしくしなきゃ」

っていう理由に左右されちゃうから(笑)

好きでもない。

嫌いでもない。

なんとなく、こっち。

何も考えずに選んでいるものには、

意外とその人が出ている。

私は、そんな何気ない選択の中にある自分も、結構好きだと思う。