不自由を感じる時

何も出来ないって感じる時

 

出来ない事ばかりに気が行ってしまう

 

ベットの上で、動けない・・・

起き上がれない・・・

 

それでも、自由がそこにある

 

私たちの心は、いつでも自由

 

「何を感じるか?」

「何を思うのか?」

どんなときも、どこにいても、私の心は縛られない。

 

心は自由。
心だけは自由。

 

そう言われても、「私たちには自由なんてない」と感じる人もいるかもしれません。

 

何をするにも、どこへ行くにも、お金や環境、身体、家族、仕事、社会のルール……。

自分の思い通りにならないことなんて、いくらでもあります。

 

では、あなたは何を理由に「不自由だ」と感じているのでしょう?

  自由じゃない理由

欲しいものが手に入らない。

行きたい場所に行けない。

やりたいことができない。

 

「もっとお金があれば」
「もっと時間があれば」
「健康だったら」
「家族がこうだったら」

そんなふうに、何かが足りないから自由じゃないと思ってしまう。

 

でも、その「欲しいもの」や「こうなりたい」という願いは、本当に自分だけのものなのでしょうか?

 

誰かと比べて欲しくなったものかもしれない。

誰かの生き方を見て、羨ましくなったのかもしれない。

誰かの影響を受けて、「自分もこうなりたい」と思ったのかもしれない。

 

それでも、手に入らないものがあると、私たちは「不自由だ」と感じてしまいます。

 

では、もしそれが全部叶ったら?

自由になった自分は、何をしているでしょう。

 

そして、その自分は何を感じているのでしょうか?

  心は自由に生きられる

私たちはいつも、「まだ叶っていない現実」を見ています。

 

だから不満になる。

 

でも、叶った自分を想像することはできる。

行きたい場所へ行った自分を思い描くこともできる。

欲しいものを手に入れた自分を想像して、その喜びを感じることだってできる。

 

だって、心は自由だから。

 

身体には、できることに限界があります。

お金がなければ行けない場所もある。

身体が動かなければ、できないこともある。

環境によって、選べないことだってある。

 

でも、心まで同じように制限されているわけじゃない。

ベッドの上からでも、世界中を想像できる。

過去を思い出すこともできる。

まだ見ぬ未来を思い描くこともできる。

 

誰かに何を言われても、何を感じるのか、何を思うのかは、自分の中に残っている。

もちろん、心だって傷つくし、思い通りにならないこともある。

 

それでも、想像すること、感じること、考えることまで、誰かに完全に奪われるわけじゃない。

 

  私達は、最高の自由を持っているのに、それに気が付けていない。

私たちは、すでに自由を持っている。

ただ、その自由に気づかないまま、「自由になりたい」と言っているのかもしれません。

 

自由って、何も制限がないことだけじゃない。

制限のある現実の中でも、

「私は何を感じるのか?」
「私は何を思うのか?」

そこだけは、自分の世界として残っている。

 

だから私は思うんだ。

肉体には限界があっても、心はいつでも自由。

気づけばそこに、自由はある。

そして、その自由をどう感じるのかも、また自分で選べるのだと思います。