最近、誰も彼もが「出会いがない」と言っている。

昔……と言っても、10年くらい前なら、職場にもそれなりに出会いがあっただろうし、飲み会だってあった。

 

大学生くらいなら「合コン」なんて言葉も、今よりずっと普通に聞いた気がする。

友人の紹介なんていうのは、いつの時代にもあるんだろうけどね。

出会いがない時代に、結婚をどう考える?

でも、今は少し事情が違う。

ハラスメントが叫ばれるようになって、職場で気軽に異性を誘うことも難しくなった。

若い人たちはお酒を飲まなくなったと言われるし、そもそも人が集まってコミュニケーションをする場そのものが減っている。

 

その一方で、バーチャルやゲーム、SNSの世界での交流は増えた。

学校を卒業すると、急激に人間関係が希薄になる。

 

そうなると、誰もが一度くらいはマッチングアプリを使ってみようかな……となるのも、まあ分からなくはない。

 

もちろん、昔からミクシィみたいな出会いの場はあった。

ただ、今ほど「出会うための方法」としてマッチングアプリが主流だったわけではないんじゃないかな?

 

私は課金して使ったことがないから、実際のところは分からない。

それでも、私の友人にもマッチングアプリで結婚した人がいるくらいだから、需要と供給がちゃんと成り立っているんだろう。

 

  人を知る前に、条件を知る

マッチングアプリを見ていて面白いなと思うのが、相手への希望だ。

 

写真を盛りに盛るのは……まあ、必要なんだろう。

今回は置いておこう(笑)。

 

それよりも気になるのは、プロフィール欄。

「自分はこういう人間です」という紹介よりも、「こういう人がいい」という相手への希望がたくさん書かれていることがある。

年収はこれくらい。

車持ち。

優しい人。

清潔感がある人。

MBTIが合う人。

子どもが欲しい人。

趣味が合う人。

タバコを吸わない人。

 

……なるほど。

これはこれで、なかなか面白い。

 

昔の恋愛なら、まず相手と知り合って、その人と話して、探り合って、駆け引きして、少しずつ相手のことを知っていく。

「この人って、こういう人なんだ」

「意外とこういうところがあるんだな」

「ここは合うけど、ここは合わないな」

 

そんな時間を過ごしながら、お互いに歩み寄ったり、

すり合わせたりして、恋愛が始まっていったんじゃないだろうか?

……まあ、私も百戦錬磨の恋愛達人ではないから、本当のところは分からないけど(笑)

 

  恋愛までの道のりが、ものすごく効率化されている

今は、その順番が少し変わった。

「自分が求めている相手」を先に決めて、その条件に合う人を探す。

 

そして、プロフィールを見て、写真を見て、メッセージをして、合えば会う。

 

つまり、人となりを知る前に「情報としての相手」を見る。

どこかのパネル指名みたいだな……と思ってしまう(笑)。

 

もちろん、人間をパネルと一緒にするつもりはない。

 

でも、仕組みとして考えると、かなり効率的なんだと思う。

「この人は自分の希望に合っているか?」

そこを先に確認してから、実際の人間関係に進む。

 

昔なら何ヶ月、何年とかけて分かったことを、プロフィールやメッセージで先に確認できる。

これは、ものすごくタイパの良い人間関係なのかもしれない。

 

ただし……コスパはどうなんだろう(笑)。

特に男性側は、サブスクにオプション、さらに重課金……なんて話も聞く。

 

出会うこと自体が、ずいぶんとサービス化されたものだなと思う。

 

  でも、本当に難しいのは「会うまで」じゃない

ただ、そこでマッチして、実際に会うことができれば、昔より話は早いのかもしれない。

 

お互いに結婚を望んでいる。

将来の方向も近い。

求めている条件も概ね合っている。

 

だったら、最初から「この人と将来を考えられるか?」という目線で会える。

 

探り合いをする必要も少ない。

これは、かなり合理的だ。

 

……でもね。

私が気になるのは、その先なんだ。

 

本当に難しいのは、出会うことじゃなくて、その後なんじゃないの?

って思ってしまう。

 

ステータスや条件から見つけた相手。

順風満帆な人生なら、それでいい。

 

でも、人間の人生なんて、そんなに都合よくいかない。

病気になるかもしれない。

仕事を失うかもしれない。

親の介護が始まるかもしれない。

子どものことで悩むかもしれない。

お金の問題が出てくるかもしれない。

そして何より、人間そのものが変わっていく。

 

若い頃は大好きだったものが嫌いになることもある。

考え方だって変わる。

夢だって変わる。

自分自身が変わってしまうことだってある。

その時に、どうやって二人で乗り越えていくんだろう?

 

  条件の一致と、人生の一致は違う

「条件が合う人」と「一緒に人生を歩ける人」は、たぶん同じじゃない。

 

プロフィールに書けるのは、あくまで今の自分。

そして、相手が見せてくれるのも、その時点での相手だ。

 

でも結婚生活には、プロフィール欄に書けないことがたくさん起きる。

だから私は、マッチングアプリが悪いとは全然思わない。

 

むしろ、出会いが減っている今の時代には、必要な仕組みなんだと思う。

出会うまでを効率化する。

条件を先に確認する。

結婚への意思を確認する。

それ自体は、とても合理的だ。

 

ただ、その合理性の先にあるものまで、合理的にできるわけじゃない。

人間関係って、結局そこからなんだと思う。

  幸せは、条件を揃えたら完成するものじゃない

幸せって、掴むものでも、誰かに与えてもらうものでもないんじゃないかな。

 

ある時には、幸せの真ん中にいるのに気づかない。

そして、失った時になって初めて、

「あれは幸せだったんだな」

と知ることがある。

 

だから、私は「幸せな結婚」を目指すことよりも、

幸せを目指して二人で過ごしていく、その道のりを大切にできること

のほうが素敵なんじゃないかと思っている。

 

マッチングアプリで条件の合う人を見つける。

それは、出会いの入口として、とても便利なものだと思う。

 

でも、そこから先は検索できない。

「病気になった時も優しい人」

「仕事を失った時も一緒に考えてくれる人」

「自分の考えが変わった時も話し合える人」

そんな条件を、プロフィール欄から見つけることなんてできない。

 

結局、実際に一緒に時間を過ごしてみないと分からない。

 

だからこそ、結婚って面白いんだろうね。

出会い方が変わっても、人間そのものが変わったわけじゃない。

 

効率よく出会えるようになったからこそ、その先にある「二人で何を作っていくのか」が、

ますます大切になっているのかもしれない。

 

シンプルフレーズでは、そんな「出会った後のズレ」を少しでも減らせるようなことを考えていきたい。

 

「こんな人と出会えば幸せになれますよ」なんて答えを出すんじゃなくて、

出会った二人が、どうやって幸せを作っていくのか。

そのことを一緒に考えられたらいいなと思う。

だって、幸せって、最初から完成品で届くものじゃない。

 

二人で歩いている途中に、ふと振り返って、

「なんだかんだ、幸せだったね」

なんて言える時間。

私は、そういうものが一番素敵なんじゃないかなと思うんだ。