不安になったときって、何かに触れたくならないだろうか?

 

ぬいぐるみを抱いたり、クッションを抱えたり、毛布にくるまったり・・・?

人間にとって「触る」という行為には、何となく安心する、落ち着くという身体的な感覚があるらしい。

 

疲れているとき、不安定なとき、心配事で頭がいっぱいになっているとき。

何かに触れることで、自分の身体を少し安定させようとする。

「触覚」がもたらす安心のメカニズム

何かに触れたい・・・

ほとんど無意識の行動なんだ。

何も考えていないし、特に感情の変化があったわけでもない・・・

それなのに、常に何かに触れている。何かを触っている。

何かを触っていいじっている時って、結構安心したり、感情が安定したりする。

 

昭和って言うか平成の前半の人なら経験あるんじゃないかな?

電話中にコードをクルクルしちゃうあれですよ(笑)

 

ところが、今の時代。

その「触るもの」がスマホになってしまった💦

  不安だからスマホを触る

不安だからスマホを触る。

落ち着かないからスマホを見る。

暇だからスマホを握る。

 

でも、スマホって触った瞬間に新しい情報が入ってくる。

ニュースが流れてくる。

SNSで誰かの生活が見える。

 

知らなくてもよかったことまで知ってしまう。

 

人と比較してしまう。

通知が来る。

仕事の連絡が来る。

また別の情報が気になって、指を動かす。

 

つまり、

「何かに触れて安心したい」

という身体の欲求でスマホを触っているのに、

触れば触るほど、新しい刺激が入ってきてしまう。

 

身体は休もうとしているのに、頭の中にはどんどん情報が入ってくる。

不安になる。

スマホを触る。

情報が入ってくる。

 

さらに不安になる。

またスマホを触る。

 

なんだか、そんな循環ができてしまっているように思うんだ。

 

  本当は情報が欲しいわけじゃないのかもしれない

スマホを触っているとき、私たちは情報を求めているとは限らない。

ただ、何かを握っていたい。

何かに触れていたい。

手持ち無沙汰なのが嫌なのかもしれない。

不安な身体を落ち着けたいのかもしれない。

 

そう考えると、スマホという道具は少し特殊だ。

触っているという身体的な安心感を与えながら、その指先から大量の情報を流し込んでくる。

 

安心を求めて触っているのに、触ることが新しい不安の入口になる。

現代って、なかなかややこしいね💦

 

  だから「誰かと触れ合えばいい」でもない

じゃあ、不安なときは人と触れ合えばいいのか?

 

……そんな簡単な話でもない。

 

人との接触は、安心にもなるけれど、同時に怖さにもなる。

誰かにどう見られるんだろう。

迷惑じゃないだろうか。

弱っている自分を見られたくない。

触れられたくない。

自分の領域に入ってきてほしくない。

そんな気持ちもある。

 

だから、「肌と肌の触れ合いは安心につながるから、もっと人と触れ合いましょう」なんて簡単には言えない。

 

「触れてほしい」と「触れられたくない」は、同時に存在することだってある。

そこは、とてもデリケートなところだと思う。

 

  カンガルーケアとマインドフルネス

赤ちゃんを胸に抱いて肌と肌を触れ合わせる、カンガルーケアというものがある。

温度や呼吸、心拍、触覚。

身体を通して「ここにいる」という感覚を共有する。

 

大人にそのまま同じものが当てはまる、と簡単に言うことはできない・・・

 

でも、人間にとって身体的な接触や存在を感じることが安心と関係する、ということを考えるきっかけにはなる。

 

一方で、座禅や瞑想、マインドフルネスには、情報からいったん離れるという意味がある。

スマホから離れる。

外から入ってくる刺激から離れる。

そして、自分の呼吸や身体感覚に意識を戻していく。

これはこれで、とても意味がある。

 

ただ、マインドフルネスには「誰かに抱かれる」というような身体的な接触はない

 

情報から離れることと、誰かに包まれていることは、似ているようで違うんだと思う。

 

  自分で自分に触れてみる?自分で自分を見つめる?

自分に触れてみる

だから、私はセルフハグって結構いいんじゃないか?と思う。

もちろん、これを万能な方法だと言いたいわけじゃない。

 

ただ、自分で自分を抱く。

自分の腕で自分の身体に触れる。

それなら、誰かに触れてもらう必要はない。

 

ぬいぐるみでもいい。

クッションでもいい。

毛布でもいい。

 

「誰かに安心させてもらう」じゃなくて、

自分で自分の身体に触れる。

 

そんな方法があってもいいんじゃないかと思う。

 

自分で自分を見る

そして、もう一つ面白いと思うのが「鏡」なんだよね。

誰かの視線って、ときどき怖い。

見られている。

評価されている。

比較されている。

そんな感覚になることがある。

 

でも逆に、「見てもらえている」ということが安心になることもある。

 

人間って、誰かの視線を恐れる一方で、誰かにちゃんと見てもらえていることを求めたりする。

だったら、自分で自分を見るというのも、案外大事なのかもしれない。

 

鏡に映った自分を見る。

自分の顔を見る。

疲れているな、と気づく。

今日はひどい顔してるな、と笑う。

別に「自分を好きになろう」なんて話じゃない。

ただ、

自分の存在を、自分自身がちゃんと見る。

それだけでもいいんじゃないだろうか?

 

  不安なとき、何に触れているんだろう・・・?

私たちは、不安になると何かに触れたくなる。

 

でも今の時代、その「何か」がスマホになっている。

スマホを握ることで、一瞬安心する。

 

でも、その指先から新しい情報が入ってきて、また不安になる。

 

それなら一度くらい、

「私は今、本当に情報が欲しいのか?」

と考えてみてもいい。

 

もしかしたら欲しいのは情報じゃなくて、ただ何かに触れている感覚なのかもしれない。

 

だったらスマホじゃなくてもいい。

ぬいぐるみでもいい。

クッションでもいい。

自分の腕でもいい。

鏡の中の自分でもいい。

不安をなくすことなんて、そう簡単にはできない。

 

だからこそ、

不安な自分が、何に触れているのか?

そこを少し考えてみたい。

安心するために触っているはずのものが、さらに自分を不安定にしていないか?

今の私たちは、そこまで考えなければならないくらい、情報から離れることが難しい時代を生きているんだと思う。