誠実な人ってどんな人?
誠実な人に出会ったことある?
残念ながら、私は無いって思ってしまうよ。
きっと、私が歪んでいるからだろうね・・・
誠実を求めるなら、まず自分がどうありたいか
誠実な人って、どんな人だろう?
嘘や偽りがなくて、相手に敬意を持って対応して、周囲に気配りが出来て、人に害をなさないような人。
そういう人は大変好ましいと思う。
でも、本当にその人はそういう人なのか?と思う。
私は、人間は利己的で、自分なりの優先順位を持って人を見る生き物だと思っている。
常に他人を評価して、自分と比較する。
嘘も言うだろうし、隠し事もするでしょう。
過ちも犯すし、失敗も繰り返す。
それが人間だと思っている。
だから、そんな人間らしさを私は否定したくない。
むしろ、それでいいと思っている。
人間関係には等価交換がある
人と人との関係って、どうしたって等価交換なんだと思う。
自分が示した分だけ、相手も何かを返してくる。
もちろん、きっちり同じものが返ってくるわけじゃない。
時間を渡したら時間が返ってくるかもしれない。
気遣いを渡したら、別の形の気遣いが返ってくるかもしれない。
だから「等価」といっても、完全に同じ価値ではない。
そこには必ずズレがある。
そして、そのズレを補うものが必要になる。
私は、それがエゴなんじゃないかと思っている。
「私がそうしたいからやった」
「俺がやりたかったからやった」
それでいい。
自分のためにしたことが、結果として誰かのためになったら素敵じゃないか。
私は、自己を優先しないことを美徳にする必要なんてないと思っている。
「あなたのため」が、相手を苦しめることもある
「あなたのために」
この言葉は、一見すると優しい。
でも、「あなたのため」という言葉には、自分の不安や心配や価値観を相手に押し付けてしまう危うさもある。
私はこんなにあなたのことを考えている。
私はあなたのために、これだけしている。
そうなってしまったら、いつか、
「私はこんなにしているのに」
という不満に変わる。
そして、その不満が人間関係の軋轢になる。
だから私は、純粋な善意というものを、必ずしも素晴らしいものだとは思わない。
むしろ、見返りを求めない聖人君子のような振る舞いは、一見美しく見えて、その実、
「私はあなたに何も求めていません」
という絶対的な優位に立ってしまうことがある。
私はあなたに何も求めていない。
だから、あなたは私に何を返してもいい。
返さなくてもいい。
そう言われた相手は、本当に自由なんだろうか。
返礼しても、しなくても、自分の中に負い目が残る。
拒絶することさえ難しくなる。
「私は何も求めていない」という善意が、相手に過酷な債務を負わせることだってあると思う。
下心があった方がいい
だから私は、下心があった方がいいと思っている。
「俺はこうしたい」
「私はこれが欲しい」
そうやって、自分のエゴをちゃんと持っている方がいい。
自分がやりたくてやったのなら、相手が同じだけ返してくれなくても、
「まあ、俺がやりたかったんだから」
で終われる。
自己満でいい。
その自己満があるから、等価交換のズレを補える。
人間関係に完全な等価交換なんてない。
だからこそ、エゴが必要なんだと思う。
自分のためにしたことが、誰かのためにもなる。
相手のためにしたことが、自分のためにもなる。
それでいいじゃないか?
誠実には覚悟がいる
だからこそ、他人に「誠実であってほしい」と期待するのは難しい。
人間は、最初から誠実な完成品ではない。
自分も利己的だし、相手も利己的。
自分も間違えるし、相手も間違える。
だから必要なのは、誠実な人を探すことではなく、関係の中で妥協点を探すことなんだと思う。
自分を育てる。
相手を育てる。
時には譲る。
時には譲ってもらう。
間違えたら伝える。
相手にも変わってもらう。
そして、自分も変わる。
その繰り返しの中で、二人にとっての等価交換を育てていく。
相手を自分の思い通りに変えるということじゃない。
自分が変わる覚悟があるからこそ、相手にも変わってほしいと思える。
その妥協点を探し続ける覚悟があって、初めて「誠実」なんて言葉が使えるんじゃないか?と思うんだ・・・。
他人に期待するより、自分がどうありたいか
私は、他人に期待することをあまりオススメしない。
「誠実な人だから大丈夫」
なんて、最初から人を決めつけない方がいい。
人は変わる。
自分だって変わる。
良いこともするし、悪いこともする。
だから、相手に完成された誠実さを求めるよりも、
「私はどうありたいのか?」
を追求する。
その上で、自分の誠実さを受け止めてくれる人と、関係を育てていけばいい。
相手にもエゴがある。
自分にもエゴがある。
そのエゴ同士がぶつかりながら、妥協点を探していく。
時には失敗する。
時には喧嘩する。
それでもまた考える。
それが人間関係なんじゃないか?と思う。
誠実って、綺麗な言葉じゃない。
嘘をつかないことでも、自己犠牲でも、見返りを求めないことでもない。
利己的で、不完全で、失敗する人間同士が、それでも関係を続けるために、自分を育て、相手を育て、妥協点を探していく。
その覚悟まで引き受けて、初めて誠実と言えるんじゃないだろうか?
「他人に期待するな。自分がどうありたいかを追求しろ。」
私は、エゴを捨てたくない。
自分がそうしたいから、そうする。
その結果、誰かのためにもなったら嬉しい。
それでいい。
だって、人間なんだから。
誠実さとは、清廉潔白に生きることじゃない。
自分のエゴの醜さを自覚した上で、それでも誰かと等価な関係を築くための不格好な努力を放棄しないこと。
その覚悟を持って初めて、私は「誠実」という言葉を使いたい。


