いつだったか、誰かと私の趣味の話をした時にさ、
「神社に行って何するの?お参りしたら終わりじゃない?」って言われたことがあるのよね。
確かにその通り。お参り自体は一瞬で終わるし、アトラクションがあるわけでもない。
でもさ、神社巡りが大好きな私から言わせれば、
「お参りして終わり」なんてもったいなすぎるのよ!
「何しに行くの?」って聞かれたら、もうこれしか言えないんだよね。
「神社を楽しみに行っているんだよ!」って。
まあ、伝わらないんだけどね(笑)。
「私は神社が好きだから行くんだよ」
でも、私にはその質問がちょっと不思議だった。
「神社に何しに行くの?」
「え?神社を楽しみに行くんだよ?」
これが私の答え。
私は神社巡りが好きで、御朱印も集めている。
写真も撮るし、ご神木も眺める。
境内を散策して、彫刻や建物を見て、「この狛犬、他と全然違うな」なんて楽しんでいる。
花手水が綺麗だったら嬉しいし、池や川があれば眺める。
町中の小さな神社も好きだし、誰も居ない村社も好き。
何か一つが目的じゃない。
全部ひっくるめて、「神社を楽しんでいる」。
だから、「何するの?」って聞かれても、説明しづらいんだよね。
趣味って、そういうものじゃないかな?
ゲームでも、料理でも、音楽でも、お酒でも、推し活でも、聖地巡礼でも同じ。
外から見れば「何が楽しいの?」って思われることでも、本人は夢中になっている。
人には分からない楽しみを見つけて、自分だけの価値を乗せていく。
それが趣味なんだと思う。
共有できる誰かと出会えたら、それはとても幸運なこと。
でも、出会えなくたって構わない。
自分が楽しくて満足しているなら、それで十分だから。
そして、趣味って人との出会いにも少し似ている。
出会いは偶然。
でも、好きになるのは偶然じゃない。
時間を重ねて、一緒に笑って、いろんな思い出が積み重なって、「好き」が育っていく。
趣味も同じ。
偶然出会った神社が好きになったり、ゲームが好きになったり、お酒が好きになったり。
その出会いを、自分だけの大切な時間にしていくのは、自分の感情であり、自分の意思なんだ。
だから私は、今日も神社を味わい尽くす!
私は神社が好き。
神話や神様の話は昔から好きだった。でも、宗教や信仰とは違う。
教えや教義が好きなわけじゃない。
ただ、神社が好き。
それだけ。
理由を並べることはできる。
でも、一番しっくりくる理由は、やっぱりこれなんだ。
「私は神社が好きだから行くんだよ。」
好きって、案外それだけで十分なんじゃないかな?
私は、普通に参拝して、境内をのんびり散策する。
礼儀作法?そんなの知りません!(笑)
2礼2拍手1礼がスタンダードなんだろうけど、神社によって違ったりするじゃない?
イチイチそこまで把握できないよって思うわけ。神様だって作法が違ったくらいで怒らないでしょ?
ってスタンスで、気楽に楽しんでる。
境内に入れば、そこはもう見どころしか無いのよ!
職人さんの遊び心が詰まった、いろんなポーズの狛犬を探したり。
圧倒的な生命力のご神木を堪能したり。
「映え狙ってるな〜(笑)」って花手水を眺めたり。
お守りやおみくじは買わずに「見てるだけ〜」をしたり。
観光地!ってところじゃなくて、町の中の誰も来ないような小さな村社にふらっと行って、
横の公園から聞こえる子供の声をBGMに「地域の雰囲気」を感じるのも最高に楽しい。
丸太橋があれば嬉しいし、鳥居の朱色が綺麗ならそれだけでハッピーじゃん?
次の「好き」を積み重ねに
観光として消費するんじゃなくて、ただそこにある空間を五感で楽しむ。
これが私の「極上の散策」なの。
ちなみに、私が次に行きたいのは、遠州森町の「遠江国一宮 小國神社」!
あそこ、本当にいいとこなんよ!
また新しい偶然と、最高のトロフィー(直書き御朱印)を求めて、大好きな空間をのんびり歩いてきます。
誰になんと言われようと、「好きだから行く」。
これ以上の理由なんて、本当にいらないんだよね!
シンプルフレーズ
好きに理由はいらないって誰もが言う。
それでも、好きになる前には必ず出会いがある。
出会いはきっと偶然だろうし、必然の時もあるかもしれない。
そこから、相手を、モノを、何かを、好きになっていくのは
触れ合う中での積み重ねと、発見の連続の時間が作り出してくれる感情だ。
好みは大切にして欲しい。
それは、自分が積み上げて来た大切な時間の集大成だろうから。





