今日も相変わらず、世界の理不尽と正面衝突しながら、左斜め上を観察してます。

ここ最近、「人が人をコントロールしたがる理由」についてずっと考えてたんだけどさ。

 

結局、人間って本質的にみんな利己的なんだよね。

自分の都合の良いように物事を運びたいし、自分の思い通りになって欲しいって誰もが願ってる。

 

本当に、人間ってバカだよね(笑)

強者のルールと愛想笑い、そして私の秘密基地

人って、人をコントロールしたがるんだ

自分の思い通りにしたい。
自分の都合の良いように物事を運びたい。

上司が部下に。
親が子に。
先輩が後輩に。
先生が生徒に。

「ルールだから」
「マナーだから」
「常識だから」
「規律だから」

物は言いようだよね。

結局さ、強い方の言うことを聞くしかないのよ。

辛いよね。

もう嫌だって思う時もある。
嫌いだって思う時もある。

だって、私も利己的だもの。

都合の悪い上司もいらない。
都合の悪い親もいらない。
都合の悪い先輩もいらない。

そう思うのは、ある意味で必然なんじゃないかな。

 

  言いたいことが言えるのは、自由じゃない

「言いたいことを言えるって、自由なことだ」

そんなふうに思っていた時期もあった。

 

でも、今はちょっと違うと思っている💦

 

言いたいことが言えるのは、自由というより力関係なんだよね。

だって、上司には言えるけど部下には言えないことがある。

親には言えるけど、子供から同じことを言われたら腹が立つこともある。

先生が生徒に怒ることは許されても、生徒が先生に同じように怒れば問題になる。

同じ言葉でも、誰が誰に言うかで意味が変わる。

 

だから、言いたいことを言えるというのは、ある意味で特権なんだと思う。

 

怒りって、水と同じなんじゃないかな?

高いところから低いところへ流れていく。

強い人が弱い人に怒る。

弱い人は、その怒りをさらに弱いところへ流す。

 

そして、その流れの中で、誰かが誰かをコントロールする。

人間は利己的だから、自分の都合の良いようにしたい。

だから強権を振るう。

でも、人間は利己的だからこそ反発もする。

「俺の都合を押し付けるな」

って思う。

 

これが面白い🤣www

 

  ある日の会社での一コマ

先日、会社でこんなやり取りがあった。

 

「時間です。ちゃんと時間内に終わらせてください。決まった時間があるんで、そのように動いてください」

「終わりません。すみません」

「知りません。時間は決まってます。仕事なんで時間内に終わらせるようにしてください」

「分かりました・・・」

 

(え? その仕事をする時間をください?)……って思った。

いや、こっちも知りませんよ?

終わらなくても知りませんよ?

 

だって、終わらせろと言うなら、その仕事をする時間をくださいよ。

 

時間内に終わらない仕事を、時間内に終わらせろ?

終わらなかったら、こっちの責任?

(アホなんですか?)

 

でも、終わらせるための時間は、こっちでは決められない?

 

これって、結局は力関係なんだよね。

 

上司の「時間内に終わらせろ」は、会社のルールになる。

私の「その仕事をする時間をください」は、ただの言い訳になる。

どっちも自分の都合を言っているだけなのに。

 

  私も利己的だから

私は、上司だけが利己的だと言いたいわけじゃない。

 

人間は利己的なんだ。

上司は上司の都合がある。

会社には会社の都合がある。

部下には部下の都合がある。

 

私にも私の都合がある。

 

だから私は、都合の悪い上司なんていらないと思う。

私の都合の悪い人間にまで、私が合わせ続けなきゃいけない理由なんてないと思う。

 

でも、弱者の私は強者をコントロールできない・・・

 

ここが現実なんだよね。

だから、今まで私は何度も抗おうとして、躓いて、苦しんで、そして排除される側になってきた。

「嫌なものは嫌だ」

「おかしいものはおかしい」

「納得できないものは納得できない」

そうやって真正面からぶつかれば、そりゃ負ける。

 

だって、力が違うんだから・・・(´;ω;`)ウゥゥ

  だから今なら言える

愛想笑いって、最強のツールなんじゃないか?

 

顔で笑って、心で泣く。

「ごめんなさい」

「すみません」

「申し訳ございません」

そうやって荒波をかわしていく。

 

マインドフルネスも、スピも、自己啓発も、何も役になんて立たない。

少なくとも、その瞬間に自分を守ってくれるのは、そんな立派な言葉じゃない。

ただ、その場で笑顔。

ただ、頭を下げる。

ただ、やり過ごす。

 

それでいい。

 

別に納得してなくてもいい。

 

心の中では、

「知らんがな」

でもいい。

 

だって、相手を変えられないんだから。

だったら、自分の出し方を変える。

それも一つの戦い方なんだと思う。

 

  でも、うっぷんは溜まるんよ

ただし、これには当然、代償がある。

顔で笑って、心で泣く。

その場は荒波を交わせる。

でも、怒りは消えない。

悔しさも消えない。

吐き出せない思いもある。

どうしようもない感情も溢れてくる。

 

愛想笑いをしたからって、心の中まで笑顔になるわけじゃない。

 

「すみません」と言ったからって、本当に自分が悪いと思っているわけじゃない。

むしろ、

「なんで私が謝らなきゃいけないんだよ」

って思っているかもしれない。

 

でも、言わない。

言えない。

言ったところで、こっちが損をする。

 

だから笑う。

それで生き残る。

でも、吐き出せないものは、どこかに溜まっていく。

 

だからこそ、私はもう一つの居場所が必要なんだと思う。

  もう一つの居場所

創作でもいい。

SNSでもいい。

配信でもいい。

非日常で、非現実の世界。

普段の自分とは違う場所で、自分を吐き出す。

 

会社では「すみません」と言っている私が、創作では好き勝手言っていい。

会社では愛想笑いをしている私が、SNSでは毒を吐いてもいい。

普段なら飲み込んでしまう感情を、別の場所に出していい。

それは、逃げじゃないと思う。

現代の蘇生術であり、サバイバル戦術なんじゃないかと思う。

一つの場所で全部の自分を生きようとしない。

それでいいんじゃないか。

 

  2面性? 良いじゃないか

 

「二面性がある」

「本当の自分を隠している」

「ペルソナなんて偽物だ」

そんなことを言われるかもしれない。

でもさ。

2面性?

良いじゃないか。

だって、私は利己的だもの。

私の都合の良いペルソナくらい使いますよ。

会社で使う私。

家で使う私。

友達といる時の私。

創作している私。

SNSで好き勝手言っている私。

 

どれが本物で、どれが偽物なんて、そんなことどうでもいい。

全部、私なんだから。

 

強者は、人をコントロールする。

弱者の私は、ペルソナを使いまわして、強者の利己的な人間性と折り合いをつける。

相手を変える力がないなら、自分の出し方を変える。

 

相手に合わせることだってある。

笑うことだってある。

謝ることだってある。

 

でも、それで私の全部が決まるわけじゃない。

吐き出す場所は、別に持っておけばいい。

  強者が強いから正しい世界で

権力と正しさなんて、簡単に区別できない。

強い方が正しい。

勝った方が正しい。

歴史なんて、そういうところがある。

もちろん、本当に正しいかどうかなんて別の話だ。

 

でも、何を正しいこととして通すのか。

何をルールにするのか。

誰の言葉が「常識」になるのか。

そこには、どうしたって力が関わっている。

核を使ったアメリカにも国連がある。

強い国が、世界のルールを作る側にいる。

 

会社だって同じだ。

強い立場の人間の「都合」が、「ルール」や「常識」という名前を与えられることがある。

 

だから私は、もう「正しさ」だけで戦おうとは思わない。

正しいかどうかなんて、力関係の前では簡単にひっくり返るから。

 

だったら私は、私のやり方で生き残る。

愛想笑いでもいい。

「すみません」でもいい。

ペルソナでもいい。

創作でもいい。

SNSでもいい。

配信でもいい。

顔で笑って、心で泣いて、それでも別の場所では思いっきり吐き出す。

 

それでいいんじゃないかな?

だって私は利己的だもの(笑)

私の都合の良いように、自分くらい使い分けますよ。

強者が人をコントロールするなら、弱者の私はペルソナを使う。

それもまた、私が生き残るための戦術なんだから。