今日楽しかった~
明日も良い日になりますように!
って毎日言いたいよね?
え?そうでもない?💦
私だけだったらごめんじゃん💦
良いことは続かない?……本当に?
良いことがある時って、なぜか続く。
逆に、悪いことが起きる時も、綺麗に連鎖する。
楽しい時って、何をしても楽しいんだよ。
ゲームをやれば勝てるし、突発的なトラブルも起きない。予定通りにいくし、欲しいモノも手に入る。
何なら、ご飯も美味しい(笑)
「最近、良いことばっかりだな」って思う。
でも、そこで人は思うんじゃないかな?
「こんなに良いことが続くわけない」
「そろそろ悪いことが起きるんじゃないか」
「良いことはいつか終わる」
……それ、本当にそうなのかな?
それもバイアスかもよ?
良いことが続いているんじゃなくて、気持ちが良いから、良いものを拾い続けているだけなんじゃないか。
逆に、嫌なことが一つあると、小さいことまで気になる。
暑い。
人が多い。
道が分からない。
店が見つからない。
歩くのが疲れる。
さっきまでなら「まあ、そんなこともあるか」で済ませていたことまで、嫌なこととして目につく。
だから嫌なことが増えたように感じる。
でも、増えたんじゃない。
拾うようになっただけなのかもしれない。
良い時はポジティブな要素を拾う。
悪い時はネガティブな要素を拾う。
ただ、それが続いているだけ。
そう考えると、「良いことが続く」「悪いことが続く」というのも、ちょっと怪しくなってくる。
旅行は、行く前から始まっている
私の大阪旅行、楽しかったもんよ!
暑かったし、人多かったし、道分からないし、ご飯屋さんも行きたいところを見つけられなかったり、食べられなかったりした・・・
歩くのも疲れた・・・
それでも「楽しかった」って言える。
だって、楽しいって思って見ているからさ。
旅行だから楽しいんだよ。
でも、よく考えたら旅行って、当日になって突然始まるわけじゃないんだよね。
旅行に行く前から、もう楽しい。
お気に入りの服を選ぶ。
美容院に行く。
ネイルを整える。
どこへ行こうか考える。
何を食べようか考える。
何を見ようか考える。
もう、そこから演出が始まってるんだ。
「この旅行、楽しみだな」
って思った時点で、もう自分の中では物語が始まっている。
だから「旅行に行く前が一番楽しい」っていうのも、分かる気がする。
まだ何も起きていない。
なのに楽しい。
それは、これから起きる出来事を、もう楽しい物語として見ているからなんだろうね。
ラルクも言ってるじゃん。
「お気に入りの服に着替えたら」って。
服を着替えただけで現実が変わるわけじゃない。
でも、自分の中では何かが始まる。
お気に入りの服を着る。
好きなネイルをする。
美容院に行く。
それだけでもう、「今日は楽しい日だ」という演出が始まっている。
じゃあ、良いことはいつ終わるんだ?
旅行が終わる。
家に帰る。
荷物を片付ける。
いつもの部屋。
いつもの布団。
いつもの生活。
そこで、
「旅行、終わったな」
って思う。
でも、何で終わったんだろうね?
旅行そのものが消えたわけじゃない。
写真も残っている。
思い出も残っている。
買ったものだって残っている。
「次はどこへ行こうかな」と考えたっていい。
それなのに、
家に帰ったら「終わり」にしてしまう。
物語を終わらせてしまっているんだよ。
だから、
「良いことは続かない」
と思う。
良いことが勝手に終わったんじゃなくて、自分で物語を閉じているのかもしれない。
制服に着替えたら、別の物語が始まる
旅行の時には、お気に入りの服を着る。
じゃあ、仕事や学校に行く時は?
制服を着る。
それだけで、
「ああ、仕事か」
「学校か……」
ってなる。
お気に入りの服に着替えて楽しい物語を始めたのと同じように、制服に着替えた瞬間、今度はハードな現実の物語を演出してしまう。
休日が終わる。
明日は仕事。
制服を着る。
電車に乗る。
そして、
「また日常が始まる」
ってなる。
そりゃ急に辛くなるよ。
物語が切り替わったんだから。
夏休みの終わりが近づくと苦しくなるのも、同じなんじゃないかな。
「あと何日しかない」
「もうすぐ学校が始まる」
「また毎日が始まる」
夏休みが特別で、日常がさらに特別な異常みたいになっている。
だから終わりが怖い。
五月病?
私にはサザエさん症候群との違いが分からない(笑)
いや、細かい意味は違うんだろうけどさ。
どっちも「特別な時間が終わって、日常というハードな物語に戻る」ってところでは、似ているんじゃないの?
でも、現実は現実だ
ここは間違えちゃいけない!
工場は暑い。
日差しは強い。
仕事は楽しくない。
……そんなの当たり前だ(笑)
人間関係が重い。
家族が苦しい。
友人が怖い。
自分が嫌い。
そんなの、今に始まったことじゃない。
自分の捉え方を変えたら、工場の温度が下がるわけじゃない。
嫌な人が急に良い人になるわけでもない。
苦しい家族が、好きな家族になるわけでもない。
自分の捉え方で、現実そのものが変わるわけじゃない。
だから、
「ポジティブに考えよう」
なんて話じゃないんだよ。
むしろ、
良いことも悪いことも、そのままある。
それでいいんだと思う。
「悪いことが続いている」のではなく、限界まで我慢しただけかもしれない
ずっと人間関係が重かった。
ずっと家族が苦しかった。
ずっと仕事が楽しくなかった。
それでも我慢してきた。
我慢して、我慢して、我慢して。
ある日、
「もう無理」
となる。
その時に、
「最近、悪いことばっかりだ」
って思う。
でも、本当に最近になって急に全部が悪くなったのかな?
違うのかもしれない。
ずっとそこにあった。
ただ、今が限界だった。
もう無理ってなるまで我慢したのかもしれない。
だから、「悪いことが続いている」という話と、「今の自分が限界かもしれない」という話は、別なんだよ。
ここを一緒にしちゃいけない。
波乱万丈にしなくていい
嫌なことがあった。
だから、
「人生は波乱万丈だ」
「私の人生はハードだ」
「悪いことばっかりだ」
なんて言う必要はない。
逆に、良いことが続いたからって、
「こんなに良いことが続くはずがない」
「この後が怖い」
「どうせ終わる」
なんて言う必要もない。
だって、それが日常だから。
楽しい日もある。
嫌な日もある。
何もない日もある。
めちゃくちゃ嬉しい日もある。
もう無理って日もある。
それが普通。
工場は暑い。
大阪は楽しい。
人間関係は面倒くさい。
ご飯は美味しい。
自分が嫌になる日もある。
好きな服を着て気分が上がる日もある。
全部、同じ日常の中にある。
続いているのは「良いこと」でも「悪いこと」でもない
だから私は思うんだ。
良いことも悪いことも、続いているんじゃない。
日常が続いているんだよ。
その日常の中に、一コマ一コマ、いろんなことが起きている。
その中で、
何を拾うか。
何を見逃すか。
何を主役にするか。
何を背景にするか。
どこからどこまでを一つの物語にするか。
どこで終わらせるか。
それを自分がやっている。
気持ちが良い時は、ポジティブな要素を拾い続ける。
だから、
「良いことが続いている」
と感じる。
嫌なことがある時は、ネガティブな要素を拾い続ける。
だから、
「悪いことが続いている」
と感じる。
でも、本当はその間にも、どうでもいいことだって、普通のことだって、良いことも悪いことも、全部ごちゃ混ぜになって存在している。
ただ、自分が何を拾って、何を繋げているかなんだよ。
「普通」って、そういうことなんじゃないか?
悪いことしかないなんて言う必要はない。
良いことが続いているから、後が怖いなんて言う必要もない。
波乱万丈でハードな人生だなんて、わざわざ物語を大きくする必要もない。
だって、
それがあなたと私の普通なんだから。
良いこともある。
悪いこともある。
楽しいこともある。
辛いこともある。
それをいちいち、
「良いことが続いている!」
「悪いことが続いている!」
って、大きな物語にしなくてもいい。
今日、楽しかった。
今日は嫌だった。
それでいい。
大阪は楽しかった。
暑かったけど(笑)
工場は楽しくなかった。
暑かったから(笑)
それでいいんだよ。
良いことが続くんじゃない。
悪いことが続くんでもない。
日常が続いている。
その日常の中で、何を演出して、何を拾って、何を取捨選択するのか。
その積み重ねで、
「良いことが続いている」
ようにも、
「悪いことが続いている」
ようにも見えてくる。
だから、良いことが終わるんじゃない。
悪いことが始まるんでもない。
ただ今日があって、
明日があって、
その中に、楽しいことも嫌なことも転がっている。
それだけなんだと思う。
……まあ、工場は暑いけどね(笑)




