私は、誰かの言葉を知らないから書くんじゃない。
むしろ、たくさん聞いて、たくさん学んできた。
それでも満足できなかった。
誰かの正しさでは、私が見てきたものを説明し切れない。
誰かの正解に、自分の人生を預ける気にもなれない。
誰かのアンサーで納得したことにできるほど、私は寛容ではない。
だから、自分で考えて、自分で言葉を作る。
そして、いかにも正しそうな世界を少し皮肉って、笑っている。
私にとって創作とは、答えを出すことではない。
誰かの答えだけで終わらせない場所なんだ。
心に刺さった言葉との出会い
先日、友人と食事に出かけた。
その友人も自分で本を書いているらしい。
最高に面白いじゃないか!
私も本を書いている・・・・と言っても道楽の域を出ない手慰みなんだけど
そんな私でも、Lineスタンプを描いてみたり、ブログを書いてみたり、動画を作ってみたり
依頼してみたり、いろいろ四方八方手を出している。
何一つ目立った痕跡が無いのが、何とも私らしい。
私一人の力では、何一つまともなカタチにしていくことが出来ない事を痛感している。
そこそこ器用で、そこそこ見聞も広いって言う勝手な思い込みを、ちゃんと世間が認識させてくれる。
そんな中出会った友人は、本を書いて出版しているらしいじゃないか!
ちゃんとした作家さんとの出会いじゃないか!これは千載一遇!
根掘り葉掘り聞きたいが・・・
まぁなんともそんなに世界は甘くない。
何を書いて何を出しているのかは教えてくれなかった。
それでも、そんな人が言った言葉が何より心に残った。
「足りないから創作している」
あぁ~さすがだなと、私のそれとは少し違うモチベって言うのかな?
ちゃんとした目的意識を持っている人の言葉は、私にとても素敵に響いたよ。
創作の可能性を探す
刺激の多い今の時代創作したくもなるだろうと思う。
私自身、アクセサリーが好きだからって、
自分好みのオリジナルシルバーアクセを粘土で作っていたころを思い出す。
なにより、今なら日々の日常の中でブログを毎日書いている。
その書くっていう行為すらも、私は創作の一つだと思いたい。
それは・・・
何か足りないって思うから、オリジナルで作り出そうと、
自分が満足する物を作り上げようとするんだろう。
昨今いろいろな世界やジャンルにクリエイターと呼ばれる人たちが居る。
同人誌やフィギュアもそうかもしれない、
アクセサリーや服だってそうだろう、
執筆やイラストなんて王道だと思うし、
SNSに写真を投稿するなんて現代の典型的な創作の代表だと思う。
他にも、動画に歌に配信にネタにトークに笑いに千差万別の表現として創作が存在している。
誰も彼もがコピーやパクリから始まり、
二次創作を経てオリジナルを探していくんだろう。
私が大好きなバンドの人たちだって最初はコピーバンドから始まってる。
最初からいきなりオリソンなんて誰も聞いてれないからね。
何もかも、足りない、物足りない、もっと・・・よりよく、私らしくを追及していく先が、創作なんだろうと思う。
自分を表現したいって言う願いはいつも自分の為に
私は、何かが足りないから創作する。
でも、足りない私を埋めるためだけに作っているわけじゃない、と思うんだ。
世の中にあるものだけでは、私を表現するには足りないから作る。
もっと私らしくしたい。もっと自分の感覚に近づけたい。
その「もっと」を諦められないから、私は創作を続けている。
そういう面って誰にでもあるんじゃないかな?
昔、エレソクって呼ばれるSS(ショートストーリー)のまとめサイトがあった。
今でもあるのかな?私はそこが結構好きで読んでいたりしたんだけど・・・
物語のアフターストーリーやifストーリー
どれもこれも、登場人物はその性格や口調のまま表現されているのに、
何とも新しい世界を演出してくれていた。
正直とても面白かった。
特にいうなら、コードギアスシリーズはほとんど読んだね(笑)
ドラゴンボールも鉄板だったし
何よりあの出会い・・・「ブーンがアルファベットを武器に闘うようです」
本当に素人か?っていうレベル。感動までさせてくれた。
本当の意味での創作っていうモノを見たと思う。
少し脱線したけど、書き手が見たい世界がそこに広がっていたんだと思うんだ。
さらに、読者側のニーズまで回収してくれている作品も多い(笑)
ただ書けるから書くって言うなら、編集でもジャーナリストでもコピーライターでも良いだろう
成功するかどうかも含めて、そっちの方が可能性高そうだ。
でも、彼らはその何のメリットも無いような世界で表現をして、創作から制作して投稿して
私を楽しませてくれていた。
別に私の為じゃないんだ。
本人の満足の為だったんだと思う。
だからこそ、とても魅力的な作品が溢れていたんだと思う。
誰も彼もが、自分のエゴを表現として作品として創作したからこそそこに在る。
最高に素敵な世界だと私は思う。
「足りないから創作」を選べる強さ
創作って正直簡単じゃない。
0を1にするってそれはもう言葉には出来ないくらい難しく、ハードルが高くて、エネルギーが必要になる。
思っても出来ない
想像しても形に出来ない
そんなことはよくある。
神前で気軽に自分の欲望を並べるようなものだ。
言うだけなら簡単なんだよ。
それを知っているからこそ、作っている人との出会いは本当に素敵な時間を与えてくれる。
今回は、何一つ共感して、情報を共有できることは無かったけど
勝手に私は最高に満足させてもらった。
だって、最高の言葉を聞かせて貰ったから
「足りないから創作している」
これ以上の言葉は必要ないとさえ思えてしまう。
何かが足りないんだよ。
心にぽっかり空いた空白を埋める為に創作する人も居るだろう
ぶつけようのない感情を吐き出すために表現する人も居るだろう
作品でしか自分を表現できない人も居るだろう
私も、私以外の人もきっと、何かが足りていない
だって、足りていて充足して満足していたら
生きていくことが出来るほど世界は甘く無いからさ
足りないことを補うために、常に労働して自分の時間と労力を消費して
さらに金銭を支払って、対価を払って何かを手に入れようとするくらいに、足りていないんだ。
その中で、創作を選んで
自分を表現して、自分の世界を作り上げて、他人に見せることが出来ている
こんな素晴らしいことがあるんだろうか。
芸術を爆発だと言った人が居たけど、まさにそれだと思う。
自分の中の何かを爆発させる強さがあるから、作品として世に出せているんだろう。
とても素敵な話しだと思う。
シンプルフレーズ
だからこそ私は思うんだ。
心の足りない部分があるから、未完で不足で自分自身に足りないから創作をするんじゃない。
世界には自分を表現して満足させるだけのモノが無いから、自分で創作を選んでいるだけなんだ。
足りないから創作しているのは、世界にないから自分で作り出すっていう自己実現の形なんだ。




