楽しいに逃げても良いじゃないか。
ひとは弱い。
……なんて言うのは、100%私の主観だ。
人は脆い。
それも、私の主観だ。
なぜなら、私自身が弱くて脆くて、迷いやすくて流れやすくて、意思がはっきりしていなくて、優柔不断で、臆病で、後ろ向きだからだ・・・
物語の終わりは、私が決める
私は、旅行が好きだ。
いつも出掛けることを考えている。
次はどこへ行こうか。
どこに泊まろうか。
何を見ようか。
でも、いざ決めようとすると、途端に決められなくなる。
予算。
立地。
交通の便。
時間。
行きたい場所との距離。
あちらを立てれば、こちらが立たず。
迷って、悩んで、先送りにして、最後にはいつもギリギリになる。
そして、もうどうしようもなくなってから、勢いで決める。
いつものことだ・・・( ´∀` )
学生の頃、夏休みの宿題は最終日に本気を出すタイプだった。
大概、間に合いません。
普段の宿題すらまともに出来ない人間が、夏休みの宿題だけ計画的に出来るわけがない。
嫌なこと。
苦手なこと。
面倒なこと。
全部、後回しにする。
逃げ回って、先送りにして、棚上げにして、見ないようにして、誤魔化して。
最後には追い立てられて、逃げ切れなくなる。
なんとも辛い。
まるで税金みたいだ。
逃げても、逃げても、逃げられない。
はい、嫌いですけど何か?
逃げることは、そんなに悪いことなのか?
逃げることは、否定されがちだ。
現実から逃げるな。
責任から逃げるな。
向き合え。
乗り越えろ。
頑張れ。
世の中は、立ち向かう人間が大好きだ。
逃げる人間は弱い。
逃げる人間は卑怯だ。
逃げる人間は無責任だ。
まぁ、そうなんだろう。
私もそう思う。
私は弱いし、ずるいし、脆いし、卑怯だ。
嫉妬も強い。
劣等感もある。
自己否定もある。
なのに、自己肯定感だけは無意味に高かったりする。
中身のない矜持や美学に染まって、格好良くありたいと思っている。
なんとも面倒くさい人間だ。
でも、それでいて思うんだ。
だって、逃げ切ることの魅力だって、あるんじゃないか?ないか?
逃げて、逃げて、逃げ回って。
大抵の場合は逃げ切れずに捕まる。
絡まって、泥沼になる。
それでもいいじゃないか?ダメなのか?
逃げる主人公がいたっていい。
泥沼の中で藻掻く主人公がいたっていいでしょ?
客席から見ているだけなら楽しい
ルパンが言っていた。『ルパン三世 PART5』の台詞
「俺って人生の視聴者は俺だけだ。だったら俺が続きを見たくなるような物語じゃないと意味がないだろ?」
それを期待して見ている人がいる間は、その人は主人公なんだ。
誰も見なくなったら、その物語が終わるだけなんだ、と。
でもさ。
客席で見ているだけなら楽しいさ。
絶体絶命。
大ピンチ。
泥沼。
どん底。
そこからどうやって逆転するんだろう?
そう思いながら、安全な席で見ていられるなら楽しい。
でも、主人公側で蟻地獄の中を藻掻くのは苦しい。
次の一手なんて見えない。
逃げ道もない。
逆転出来る保証もない。
それでも、足掻くしかない。
主人公って辛いよね。
だって、これは私の物語だか・・・
途中で客席に降りることは出来ない。
画面を閉じることも出来ない。
自分の物語を、自分が見ている。
神様じゃない。
他人じゃない。
家族でも、身内でも、大切な人でもない。
自分が見ている。
情けないな。
格好悪いな。
また逃げているな。
そう思いながら、それでも自分が見ている・・・
私は、この上なく人間している・・・気がする
平々凡々な主人公も素敵だ。
天才も、無敵も、チートも魅力的だ。
でも、私はそうじゃない・・・悲しかな
弱い。
面倒くさがり。
嫉妬する。
妬む。
自分を否定する。
なのに、根拠もなく自分を肯定する。
どうでもいいところで矜持を持ち出す。
美学を語る。
そのくせ、嫌なことからは逃げたい。
まったく、一貫性がない・・・我ながら呆れてしまうレベルだ(笑)
でも、だからこそ思う。
私は、この上なく人間していると思うんだ。
綺麗でもない。
立派でもない。
強くもない。
善人でも、悪人でもない。
ただ、欲望と理性と嫉妬と劣等感と自己肯定と自己否定が、同じ身体の中でぐちゃぐちゃになっている。
それが私だ・・・滑稽なくらいに私だ。笑えるくらいに私だ。
終わらせ方を学んでいる真っ最中です。
私は今、自分の物語の終わらせ方を学んでいる最中なんだと思う。
何もかも抱えたまま、立派に完結させる方法ではない。
無理しない。
頑張らない。
出来ることは、出来ることだけ。
持てるのは、持てる分だけ。
何でも背負わない。
何でも救わない。
何でも証明しない。
選ぶのは、いつも自分。
それは、自由で格好いい話ではない。
選択肢が少なくても。
どちらも嫌でも。
選ばないことすら許されなくても。
最後に手を伸ばしたのが自分であることだけは、誰にも渡したくない。
まだ知らない未来に踏み出す力を、勇気と呼ぶらしい。
なら、私はまだ少しだけ勇気を持っているのかもしれない。
怖くないから進むわけじゃない。
自信があるからでもない。
弱くて、脆くて、逃げたくて。
それでも次の一歩を、自分で選ぶ。
それだけだ。
諦念も余白も大嫌いだ
諦念なんて嫌いだ。
(諦念(ていねん)は、物事の道理や世の仕組みを深く悟った上で、執着を捨てて心穏やかにあきらめることを指します。)
余白なんて言葉も嫌いだ。
何もないことを、綺麗な言葉に言い換えたくない。
諦めたわけじゃない。
ただ、全部は持てないだけだ。
終わったわけじゃない。
ただ、今は動けないだけだ。
私はまだ仮面を付けられる。
笑っているように見える顔。
まだ大丈夫そうに見える顔。
次の場面まで立っていられる顔。
それで、今は十分だ。
仮面は嘘かもしれない。
誤魔化しかもしれない。
でも、それを付けることで今日を通過出来るなら、それでいい。
本当の自分を晒すことだけが誠実ではない。
壊れないために仮面を使うことだって、生きるための技術だ。
物語の終わりは、私が決める
失敗したから終わり?
見放されたから終わり?
何も残らなかったから終わり?
もう遅いから終わり?
そんなふうに、他人や社会に勝手に結末を決められたくない。
泥沼でもいい。
逃げ回っていてもいい。
仮面のままでもいい。
次の展開が見えなくてもいい。
物語の終わりは、私が決める。
だから、まだ私の物語は終わらない。




