先日、Feverが企画する「キャンドルライトコンサート」へと足を運んだ。

なんとも大人な雰囲気なのに、心をくすぐるセンスがあって、鮮やかな曲と佇まいと空気に満たされていた。

 

そこに居るだけで、

「いい所に来たな」

っていう自負と自己満に満たされる。

そんな空間だった。

 

自分が自分に酔うために用意されたような場所。

 



久石譲とジブリの音色が教えてくれた、キャンドルの下の上質な1時間

無数のキャンドルが揺らめく闇の中に、突如として浮かび上がる弦楽四重奏のストイックな佇まい。

なんとも大人な雰囲気でありながら、こちらの心をくすぐるセンスに溢れた、鮮やかな曲と空間。

 

正直に言えば、単に「演出が凄かった」「豪華だった」という言葉だけでは、

あの場所の本当の価値は伝わらない。

 

そこに身を置いているだけで、「今、自分は極めて上質な場所に来ている」という静かな自負と自己満足にじわじわと満たされていく。

 

そう、ここは音楽を消費するだけの場所ではない。

「自分が自分に酔うため」に、完璧にお膳立てされた空間なのだ。

 

  音楽を聴く場所ではなく、音楽を「空間ごと」感じる場所

美術館で額縁に収まった作品を見て感嘆するのとは違う。

かと言って、ライブやフェスで大衆の圧倒的な熱量に巻き込まれるのとも違う。

 

耳で音楽だけを楽しむのではなく、揺らめく光、重厚な空気、演者の佇まい、そのすべてが一体となった世界を五感で感じる、じつに斬新なエンターテインメントだった。

 

あのキャンドルの海の中に、自分さえも一つの演出の一部として溶け込んでいくような感覚。

他者と熱狂を共有するのではなく、研ぎ澄まされた空間の美意識と、自分の感性が一対一で静かに響き合っていた。

 

  久石譲とジブリがもたらす「不在の歌」

今回のプログラムは「久石譲の世界」

誰もが一度は耳にしたことのある、ジブリの名曲たちだ。

 

弦楽器が奏でる旋律は、どこか懐かしく、同時に瑞々しいほど新しい。

歌い手がいない引き算の編成だからこそ、歌詞がないはずなのに、私たちの脳裏には言葉にならない感情や愛着が「歌」として聞こえてくるから面白い(笑)

 

『人生のメリーゴーランド』(ハウルの動く城)

映画の視聴回数が多いわけでも、一番好きな作品というわけでもない。

それなのに、重厚なワルツが響いた瞬間、闇の向こうに案山子のカブがピョンピョンと跳ねて踊る姿が鮮明に見えよ私にはね(笑)好きだから感動したのではない。

音楽の力によって、強制的にあの世界へと引きずり込まれたのだ。

 

『君をのせて』(天空の城ラピュタ) 

一番好きなジブリ映画からの選曲。

切なくも壮大なメロディに胸が震える。と、同時に、ふとロマンのある妄想が頭をよぎった。

「もし、パズーが早朝に吹くトランペットの曲(ハトと少年)を、この贅沢な弦楽アレンジで聴くことができたら……」

なんて(笑)

そんな贅沢な「if」を夢想したくなるほど、あの空間は優しかったね。

 

『となりのトトロ』 

これに関しては、もう降参するしかない(笑)思い出が多すぎるのだ。

これまでの人生で一体何度観てきただろうか。

チェロやバイオリンの音が響くたび、闇の向こうを猫バスがどれだけのスピードで疾走していったか、もう数え切れないwww

音楽を聴いて映像を思い出すんじゃない💦

すでに音楽の中に、私たちの記憶の映像が住み着いているからたまらないwww

 

他にも、千と千尋やもののけ姫やナウシカ、どれも素敵な演奏だった!

 

  「1時間、7,900円」という投資の正体

チケット代は7,900円。決して安くない。1時間という時間に対してこの数字だけを見れば、

高いと感じる人の方が多いかもしれない。

 

しかし、私にとっては間違いなく価格以上の満足感だったよ!

私が買ったのは、単なる1時間の演奏じゃない!

日常の手垢がついた現実から完全に隔離され、少し特別な場所にいるという実感、そしてその時間を過ごしている自分へのホスピタリティ

それらすべてをパッケージした価格が7,900円なんだ!

 

一人でストイックにこの美意識を咀嚼する良さもあるし、

次は誰かと一緒に来て、この贅沢な空気の振動を共有したいとも思えたね。開いていないけどwww

 

それくらいに満たされた時間だった!

最高です👏

 

  贈り物と、受け手が作り出す「価値のロマン」

きっと、あの空間にいた人それぞれに、全く違う感想と時間の流れがあったはずだ。

 

それは、誰かにプレゼントを贈る時の心理に似ていると思う。

 

自分の好みを贈るのか?相手の好みを贈るのか?

残る物か、消える物か?

そこには贈る側の価値観や性格が色濃く反映される。

 

私は、花を贈ることが好きだ。

花は一番スタンダードに見えて、実は一番選びにくい。

かさばるし、実用的な使い道もないし、いつかは枯れてしまう。

 

それでも私は花を選ぶ。役に立つから、必要だから渡すのではない。

そこに「意味」と「価値」を見出だす。

 

それこそが男のロマンだと思うからだ。

 

価値とは、あらかじめ決まっている物ではない。

受け取る側がそこに何を見出すかによって、初めて作り出される尊さなのだ。

 

このキャンドルライトコンサートも全く同じだ。

純粋に自己満足に浸るのか?

誰かへのプレゼントにするのか?

あるいは単なる「映え」の演出として消費するのか?

 

すべては自分次第。

 

同じ場所に居ても同じ時間にはならないし、同じ曲を聴いても同じ景色は見えない。

だからこそ、私は私なりの受け止め方で、この時間を最高に贅沢なものへと仕立て上げたんだ。

 

  緩やかなのに、あっという間

時間の価値は相対的だ。 あの空間では、とても緩やかな時間が流れていた。

静かで、何者にも急かされることなく、一つひとつの音の粒子に深く浸ることができた。

 

それなのに、終わる時は一瞬だと感じたね。

「もう少し、あと少しだけ」と感じるほどに名残惜しい。

 

緩やかだったのに、短かった。満たされたのに、もっと欲しかった。

それは決して物足りなかったからではない。

あまりにも満たされていたからこそ、その世界の終わりを拒みたかったのだ。

 

時間の価値は、長さではない。その時間の中で自分が何を感じ、何を見て、何を持ち帰ったのか。

そして、その時間の中にいる自分をどれだけ愛せたか。

キャンドルライトコンサートは、美しい音楽を聴く時間だった。

 



しかしそれ以上に、「自分が自分に酔うための、最高に愛おしい時間」だったのだ。

自分で自分の時間を演出する。

誰かの企画で演出で、ただの興行だったとしても・・・

その時間から何を受け取るのか?って言うのは、やっぱり自分次第なんだと思う。

素敵な時間をくれた企画に感謝です。