突然ですが、こんな名言を耳にしたことはありませんか?

 

「人間は、判断力の欠如によって結婚し、忍耐力の欠如によって離婚し、記憶力の欠如によって再婚する」

フランスの劇作家、アルマン・サラクルーの言葉です。

 

これ、初めて聞いたとき思わず笑ってしまいました。

痛快すぎて、ハイボールを吹き出しそうになるくらいに。

人はなぜ、何度でも未来を信じてしまうのか?

人はなぜ、何度でも未来を信じてしまうのか?

 

「人間は、判断力の欠如によって結婚し、忍耐力の欠如によって離婚し、記憶力の欠如によって再婚する」

いや、痛快すぎる(笑)

確かにと思う。

 

結婚して、離婚して、もう懲りたと言いながら、また誰かを好きになって、また結婚する。

世界中で、何度も、何度も繰り返されている。

人間って、本当に愚かだなあと笑いたくなる。

 

でも、それでも人は、あえてそのいばらの道を進みたいと思ってしまう。

そこが、さらに痛快なんだ。

  結婚はゴールではなく、始まりなのに

人は、結婚をゴールだと誤解する。

 

付き合うまで。
告白するまで。
プロポーズするまで。
結婚式を挙げるまで。

そこまでは、まるで一つの物語だ。

 

困難があり、すれ違いがあり、最後に二人が結ばれる。

そして、めでたし、めでたし。

 

でも、現実はそこから始まる。

生活費はどうするのか?
家事は誰がやるのか?
疲れている時に、どちらが我慢するのか?
価値観が違った時に、どこまで譲れるのか?

 

結婚は、ハッピーエンドではない。

始まりでしかない。

ハッピーエンドなんて、終わりのある物語が、たまたまHAPPYな場面で終わっただけなんだ。

その後を想像したことがあるだろうか?

 

シンデレラなんて、絶対に価値観が合わないだろう(笑)

舞踏会で少し踊っただけの王子と結婚する。

育った環境も、金銭感覚も、生活習慣も違う。

恋愛としては美しい。

でも、生活としてはかなり怪しい・・・って、思いませんか?

 

リトルマーメイドのアリエルもさ、凄い波乱とハードルを乗り越えるわけじゃない?

待て待て、人間になったとしてもだよ?

種族の壁ってまぁね?美談だよ。これ以上は野暮だろう・・・。

 

私的には、パズーとシータは上手く行っていて欲しい。

それこそもう願望のレベルですよ。

 

物語は、幸福だった瞬間で終わる。

その幸福が永遠に続くから終わるのではない。

そこから先を書くと、ハッピーエンドでは終われなくなるから、物語を閉じただけなんだ。

 

  それでも、人はもう一度手を伸ばす

では、人はなぜ、何度も同じ道を進むのだろうか?

本当に記憶力が欠如しているからだろうか?

 

私は、少し違うと思う。

 

人は、忘れたからもう一度進むのではない。

覚えていても、未来の希望に負けるんだ。

 

離婚の苦しさも覚えている。
裏切られた痛みも覚えている。
期待して、失望したことも覚えている。

 

それでも、

今度こそ違うかもしれない。
次は、本物かもしれない。
今より良い未来があるかもしれない。

そう思って、また手を伸ばす。

 

まるで、トレジャーハンターだ。

宝箱の中身が、何度ミミックだったとしても、また次の宝箱を開けてしまう。

今度こそ、本物の宝が入っているかもしれないから。

人は、その欲望に勝てない。

 

  希望は、綺麗なだけのものではない

希望というと、明るくて、前向きで、美しいもののように思える。

 

でも、本当の希望は、もっと健気で、強欲で、どうしようもないものなんだと思う。

詐欺に騙される。
マルチ商法に乗る。
インチキを信じる。
神に縋る。

人は、ただ馬鹿だから騙されるわけではない。

 

自分が欲しかった未来を差し出されるから、信じてしまう。

人生を変えたい。
救われたい。
愛されたい。
認められたい。
今とは違う場所へ行きたい。

その願いに、もっともらしい形を与えられる。

 

だから、人は宝箱を開ける。

詐欺師が欲望を作るのではない。

すでにその人の中にある欲望を見つけて、そこに宝箱を置くんだ。

 

  「絶望から逃げる」と「希望へ走る」の正体

絶望から逃げることと、希望へ向かうことは、違うように見える。

 

この世界で生きていると、 「辛い現実(絶望)から必死に逃げ出している人」と、 

「眩しい理想(希望)に向かって全力で走っている人」に出会います。

 

一見すると、前者は後ろ向きな敗走で、後者は前向きな疾走のように見えるかもしれません。 

でも、その両方の背中を押し、足を動かしている根底のエネルギーは、実はまったく同じものではないでしょうか?

 

留まれば焼き殺される絶望から逃げるとき、人は「ここではないどこか」に、今よりほんの少しだけマシな未来を夢見ています。 

 

そして、目の前の怪しい宝箱に手を伸ばすときも、「これさえあれば」という一発逆転の未来に胸を躍らせています。

 

つまるところ、

「今より良い未来があるかもしれない」

という狂おしいほどの想いこそが、私たち人間を走らせる最大のエンジンなのです。

 

未来を選べるほどに選択肢の多い人なら、希望なのか逃避なのかと問えるのかもしれない。

 

でも、選択肢のない人に、その違いを問うことはできない。

逃げることも、進むことも、どちらも生きようとする動きなんだ。

 

  人間は、希望に魅せられて踊る

人間は、学ばないから繰り返すのではない。

学んでも繰り返す。

痛みを知っていても進む。

何度騙されても、何度裏切られても、何度ミミックに食われても、また宝箱に手をかける。

 

それは、愚かさなのかもしれないけれど、

それでも、その愚かさがあるから、人は絶望の中でも次を想像できる。

 

希望は、人を救うだけではない。

人を騙し、焼き、破滅させることもある。

それでも人は、希望に魅せられる。

今度こそ。
次こそは。
ここではない場所なら。
この人となら。

そうやって、また走り出す。

「今より良い未来があるかもしれない」

それは、健気で、強欲で、どうしようもない人間の生きる力なんだ。

絶望から逃げるのも、希望に向かって走るのも、根底はきっと同じだ。

 

「今より良い未来があるかもしれない」

その想いが、人を走らせるんだ。