「粋」って、素敵な響きだと思う。

清々しくて、軽やかで、格好いい。


それなのに、「いきってる」って言うと急に調子に乗っている感じになる。

同じ音なのに、向いている方向がまるで違う。

 

「粋」は、見せつけない。

「いきがる」は、見せつけたい。

たぶん私は、ずっと「いきがって」いたんだと思う。

粋に憧れた時点で、私は野暮だった

「粋(いき)」っていう言葉について、ちょっと深く考えてみまてね。 

 

江戸っ子の「傘傾げ(狭い路地で傘を傾け合う気遣い)」とか、

「宵越しの銭は持たない」みたいな、あの執着のない、サラッとした格好よさのことです。

 

「粋って格好いいよなぁ」なんて思いながら、ふと、自分の胸の内を覗き込んでみたんです。

そしたらね。 出てくる、出てくる・・・

 

「他人からどう見られているか」を気にする自意識。 

リアルな日常では、周りに合わせてちょっとポンコツな自分を演じてみたり。 

ネットの世界では、ちょっと冷徹で格好いい視点を持った自分を演出してみたり。

 

……いやいや、俺。 めちゃくちゃ「いきがってる」じゃん(笑)。

 

  見せつけたい自分

「いきる(調子に乗る、格好つける)」と「粋(いき)」。 音はそっくりなのに、中身は真逆。

 

「粋になりたい!」と意識して、自分の立ち居振る舞いを整えたり、

他人のマナーを評価し始めた瞬間、そこには強烈な『執着』が生まれます。

 

「あいつは分かってない」なんて他人に言った瞬間、それこそが一番の「野暮」になっちゃう。

つまり、「粋を求める人」は、だいたい自動的に野暮になるっていう、恐ろしいパラドックスがあるんです。

 

何かを残したい。
誰かに認められたい。
格好よく見られたい。
自分には意味があるんだと証明したい。

そんな気持ちで、ネットの世界で言葉を並べて、シンプルフレーズなんて名乗って、少しでも格好をつけようとしている。

 

適当で、おっちょこちょいで、ミスの多い人間を演じているようで、実際にもその通りで。


そして、その自分にまた言い訳をしている。

ああ、これは粋じゃないなと痛感したね。

 

粋に生きたいと言いながら、粋を目指した時点で、私はもう最低に野暮だった(笑)

  粋は、他人を裁かない

本当に野暮な人は、自分が野暮であることに気づかない・・・?

 

大正時代の哲学者・九鬼周造は、その著書『「いき」の構造』の中で、粋の条件の一つに「諦め(あきらめ)」を挙げました。 これは絶望するという意味じゃなくて、思い通りにならない現実や、自分の不完全さを「まあ、しょうがないよね」と、大人の余裕で手放すことです。

 

「格好つけたい自分」や「他人の目が気になる自分」を否定するんじゃなく、

「人間だもの、そりゃあ評価されたいよね(笑)」と、諦めを含んだ明るさで受け入れる。

それこそが、ガチガチのルールに縛られている人よりも、よっぽど風通しが良い。

 

傘傾げっていう所作もそうだ。

雨の日、狭い路地ですれ違うとき、ひょいと傘を外側に傾ける。


水滴が相手にかからないようにする。

それは素敵だ。


でも、それを「マナー」にした瞬間、少し息苦しくなる。

「あの人は傘傾げをしなかった」
「あの人は分かっていない」
「あの人は粋じゃない」

そんなふうに他人を裁き出したら、それこそ野暮だ。

 

粋って、他人を評価するための物差しじゃない。
自分の中にそっと置いておく美意識なんだと思う。

  【古典落語】『芝浜』の奥さんが粋だった理由

落語の「芝浜」を思い出す。

(最近、タイガー&ドラゴン見ましたからね(笑))

奥さんは、夫を救うために嘘をつく。
現代的に見れば、かなり強いお節介かもしれない。

でも、粋なんだよ!!

最高に粋なんだよ!アレが粋なんでしょ!

 

だって、最後に「あんたのためにやったんだよ」と言わないから🤪

「私がいなかったら、あんたはダメだった」
「感謝しなさい」
「私が正しかった」

そんなことを言わない。

 

出てくるのは、「ごめんよ」なんだ。

助けたのに、勝たない。
正しかったのに、誇らない。
愛していたのに、支配しない。

これがかっこいい!!

 

  結局、いきがって生きていこうぜ

私たちはロボットじゃないから、明日から急に「何も執着しない、完璧に粋な人間」になんてなれません・・・。

 

 明日もきっと、誰かの目を気にするし、ちょっと格好つけるし、心の中でいきがる。

だけど、それでいいじゃん?と。

 

「できたら素敵、されなくてもドンマイ」 そんな風に、

自分の格好悪さもひっくるめて「ドンマイ!」と笑い飛ばしながら、

今日も他者評価の海を、バタ足で軽快に泳いでいこうと思います。

 

だって、自分の「いきがり」を笑える心こそが、何より一番、粋なんだから。

 

せめて「あんたのために」と正しさを振りかざすより、
「ごめんよ」と言える人間に憧れていたい。

粋に生きるって、そういうことなのかもしれない。