「あなたのために」「あなたの為を思って」

この言葉は、とても優しい響きを持っている。

大切な人を思っている。
心配している。
力になりたい。
助けたい。
何かしてあげたい。

そういう気持ちがあるからこそ、人は誰かに言葉をかけるし、手を差し伸べる。

 

それ自体は、本当に素敵なことだと思う。

でも、難しい。

 

誰かのためにと思って掛けた言葉が、相手にとっては望んでいない救済になることがある。

誰かのためにと思ってした行為が、相手をただ縛るだけになることがある。

「あなたのために言っている」

この言葉は、最高の免罪符になる。

 

言っている側は善意のつもりだ。
悪気なんてない。
むしろ、本気で相手を大切に思っている。

 

でも、受け取る側がそれを望んでいなければ、その優しさは重い。

心配という言葉で、不安を煽ることもある。
気遣いという顔をして、相手の選択を奪うこともある。

 

「良かれと思って言っている」という正論の前に、相手は逃げ道を失い、罪悪感という鎖に絡め取られてしまう。

誰かを深く大切にしようともがいたことがある人ほど、この優しさと押し付けの境界線の難しさに、

胸を痛めた経験があるのではないでしょうか?

 

だから、優しさは難しい。

誰かを大切にすることと、自分のために何かをすることは、切り離せないと思う。

 

私はそこを悪いことだとは思わない。

誰かのためにと言いながら、そこには自分のためもある。

 

喜んでほしい。
必要とされたい。
安心したい。
自分の言葉が届いてほしい。
自分がその人にとって、少しでも意味のある存在でありたい。

 

それでいいと思う。

自分のためで大いに結構。

むしろ、自分のためにした言葉や行為が、結果として誰かのためになるなら、それはとても素敵なことだと思う。

 

ただ、その自分のためが、相手を縛ることもある。

それは知っておいた方がいい。

「あなたのために」と言いながら、実は自分の安心のためだったり、自分が納得したいだけだったり、自分の不安を消したいだけだったりすることがある。

 

それが人間なんだと言ったらそれまでだし、むしろ人間ってそういうモノだと思うんだ。

完璧な利他なんて、たぶん人間には難しいから。

 

だからこそ私は、「誰かのために」という言葉を簡単に使うより、言葉を贈る人でいたいと思う。

それも、心配を語る言葉や、不安を煽る言葉じゃなくて、褒め言葉として。

 

  私の場合・・・

たとえば、会話の最中に、 「お?その言葉素敵だね。心動かされたよ」 と、

自分の感動をそのまま伝えること。

 

あるいは、ネイルを新しくした人が居て、 「そのネイル素敵だね」 と、

ただ気づいたことだけを伝えること。

 

それは、相手を評価しているわけじゃない。

正しいとか、優れているとか、立派だとか、そういう採点をしたいわけじゃない。

ただ、その言葉に心が動いた。
良いと思った。
魅力的だと感じた。

だから、それをそのまま渡す。

 

それも別に、センスを評価したいわけじゃない。
似合っている理由を説明したいわけでもない。
その人の努力を分析したいわけでもない。

ただ、気付いた。
良いと思った。
魅力的だと感じた。

だから、言葉にして渡す。

褒め言葉って、それくらいでいいんじゃないかと思う。

  「素敵」という言葉を好んで使います。

テストの点数を評価したいわけじゃない。
仕事の成績を採点したいわけじゃない。
その人の人生に、勝手な意味を乗せたいわけじゃない。

その人の姿を見て、心が少し動いた。

その感動を、言葉というラッピングで包んで渡す。

 

それが褒め言葉でいいと思う。

プレゼントを選ぶ時、人は相手のことを考える。

何が似合うだろう?
どんな色なら喜ぶだろう?
今のあの人に渡すなら、何がいいだろう?

あちこち歩いて、悩んで、選んで、ラッピングしてもらう。

 

その時間には、選ぶ人の「らしさ」が出る。

言葉も同じだと思う。

どこを見るのか。
何を褒めるのか。
どんな言葉を選ぶのか。
どう包んで渡すのか。

そこに、その人らしさが出る。

 

だからこそ、褒め言葉は難しい。

でも、その難しさが素敵なんだと思う。

 

相手を動かすための言葉じゃない。
相手を変えるための言葉じゃない。
相手に感謝させるための言葉でもない。

ただ、自分が見つけた魅力を、言葉で包んで渡す。

 

それだけでいい。

そこに深い思想なんて要らない。

他意も要らない。
境界線も要らない。
理由も意味も乗せすぎなくていい。

 

むしろ、乗せすぎたらプレゼントじゃなくなる。

「こう受け取ってほしい」
「こう感じてほしい」
「こう変わってほしい」

そんなものを乗せた瞬間、褒め言葉は押し付けになる。

贈り物ではなく、要求になる。

 

だから私は、「素敵」という言葉を好んで使う。

「すごい」でもなく、
「偉い」でもなく、
「正しい」でもなく、
「成長したね」でもなく、

 

「素敵」

この言葉が好きだ。

一番魅力的だと感じている。


私の心が動いた。
今のあなたが、私の目にはとても良く映った。

 

そんな感情を、軽やかに渡せる気がするから。

「あなたのために」と言って、相手を縛るくらいなら、

「あなたのそういうところ、素敵だね」

と、そっと言葉を渡せる人でいたい。

 

誰かのために、なんて大げさじゃなくていい。

自分がそう感じたから。
自分の心が動いたから。
自分が渡したいと思ったから。

その自分のための言葉が、相手にとって少しでも温かい贈り物になるなら、それで十分だと思う。

 シンプルフレーズ

褒め言葉は、誰かに渡したい最高のプレゼント

 

相手を評価するためのものじゃない。
心が動いた瞬間を、言葉でラッピングして渡すだけでいい。

「素敵だね」は、採点じゃない。
私の心が動いたよ、という小さな私からのプレゼントなんだ。