昔は、本気と書いてマジと読んでいた。

今はきっと、本気と書いてガチって読むんだろう。

 

いつからなんだろうね。
マジって言葉をあまり使わなくなったのは。
いつからなんだろうね。
本気って言葉が少し古く感じるようになったのは。

気が付いたら、誰もが「ガチ」って言うようになっていた。

 

これが、ジェネギャってやつなんだろうね。

 

「全力でガチれ」なんて言うと、全力で本気ってことだから、意味が重複していて自分でも少し笑える。

今、何にガチるのか分からないまま生きている?

今の私は何にガチるんだろうか?

シンプルフレーズにもガチりたい。
この考察にもガチりたい。
休日も満喫したい。
出会いもあったら嬉しい。
これから何かを始めたいとも思う。

 

だから、自分磨きも手抜きできない。
思考の柔軟さも手放せない。
興味や関心事も減らしたくない。


何にでも挑戦したい。
そして、大いに失敗しても良いと思う。

無くしたことがあるって、きっと凄い経験なんだろうと勝手に言い張っている(笑)

 

でも、正直に言えば、時間も予算もない。

やりたいことはある。
欲しいものもある。
でも、全部に手を伸ばせるほど、人生は広くない。


休日はすぐ終わる。
給料には限りがある。
体力も気力も無限じゃない。

 

その上で、何に本気?何にガチになるのか?になるのか?

 

そう考えた時に、少し問いが変わる。

「何にガチるか?」ではなく、
「何のためにガチを求めるのか?」

 

私は何かを頑張りたいのか?
それとも、頑張っている自分を見たいのか?
何かを手に入れたいのか?
それとも、まだ何かを求めている自分を確認したいのか?

 

子供にも会えない。
自分の未来にも期待できない。

 

そんな私が、今さら何を求めるのか?

 

金か。
出会いか。

大いにあるね。

綺麗事じゃない。
金は欲しい。
出会いも欲しい。
楽しい時間も欲しい。
自分を認めてくれる誰かがいたら嬉しい。
自分の言葉を読んでくれる誰かがいたら嬉しい。
何かが始まる予感だって、まだ欲しい。

 

でも、それのために何をするのか?


どこまでやれるのか?
どこまで差し出せるのか?

何を捨てて、何を残すのか?

 

迷っている。
迷っている時ほど、私はちゃんと生きているのかもしれない。

 

完全に終わった人間は、たぶん迷わない。

もうどうでもいいなら、悩まない。
もう欲しくないなら、考えない。
もう何も求めていないなら、「何にガチるか?」なんて出てこない。

 

だから、迷っているということは、まだ何かを求めているということなんだと思う。

 

昔は、本気と書いてマジと読んだ。

今は、本気と書いてガチと読む。

でも私は、今すぐ何にガチるかを決められない。

 

決められないまま、考えている。
迷っている。
欲しがっている。
諦めきれずにいる。

それでいいのかもしれない。

 

迷っている時が、人生を生きている証なんだ。

RADWIMPSの楽曲「命題」にあるように、あえて間違えないことよりも、

迷いながらも自分なりの答えを模索することも好きだな。