一般的なマインドフルネスって、どうしても「静寂」「瞑想」「座禅」「呼吸」「自分と向き合う」みたいな方向に行きがちなんだけど、そこに私は少し違和感がある。
もちろん、それで落ち着ける人はいる。
静かな部屋で自分を見つめ直せる人もいる。
一人で座って、呼吸を整えて、心を鎮められる人もいる。
でもさ。
一人で抱えきれない夜もあるんだよ。
眠れない夜こそ、深夜のコンビニをガチれ
一人になった瞬間に、余計なことばかり考えてしまう夜がある。
静かすぎるからこそ、頭の中の雑音が爆音になる夜がある。
目を閉じた瞬間に、過去の後悔や怒りや恐怖が押し寄せてくる夜がある。
そんな時に「一人で自分と向き合いましょう」なんて、ちょっと無理がある。
かといって、誰かと話したいわけでもない。
慰めてほしいわけでもない。
説教されたくもない。
正論なんて聞きたくない。
「大丈夫だよ」って軽く言われるのも、正直しんどい。
つまり、必要なのは会話じゃないんだ。
必要なのは、ただそこに人がいるという気配。
触れてこない他人。
干渉してこない他人。
でも、確かに同じ時間に同じ場所に存在している他人。
この距離感が、たぶん救いになる時があるんだ。
静かな場所で自分を見つめるのは確かに出来るかもしれない。
でも、どうしてもネガティブに嫌な事に意識が言ってしまうこともあるんだ。
そういう時に、雑踏っていう・・・遠いところでする他人の営みって心が休まる時がある。
他人が居るけど、居ないような距離感。
深夜のコンビニには、それがある。
会社でもない。
家庭でもない。
友人関係でもない。
誰かの期待に応える場所でもない。
ジャージでもいい。
スウェットでもいい。
髪がボサボサでもいい。
ノーメイクでもいい。
何も買わなくてもいい。
買うとしても、プリンでもカップ麺でもエナジードリンクでもいい。
そこでは、ちゃんとした自分を作らなくていい。
これがかなり大きい。
スターバックスが「家庭でも職場でもない第三の場所」みたいな居場所を大切にしている、という話がある
けど、コンビニはもっと雑で、もっと生活に近くて、もっとラフなんだよね。
スタバに行くには、少しだけ「そこにいる自分」を作る。
でもコンビニは違う。
コンビニには、生活のまま行ける。
弱ったまま行ける。
眠れないまま行ける。
どうしようもないまま行ける。
しかも夜でも開いている。
公園は夜だと怖い。
スーパーは閉まっている。
カフェは気軽だけど、深夜には開いていないことが多い。
誰かの家に行くには重すぎる。
電話をするには相手が必要になる。
でも、コンビニはそこにある。
明かりがある。
店員がいる。
客がいる。
棚に商品が並んでいる。
冷蔵庫の音がする。
レジの音がする。
誰かが唐揚げを買っている。
誰かが明日の朝食を選んでいる。
誰かが煙草を買っている。
誰かが無言で帰っていく。
それだけでいい。
静かなのに、静かじゃない。
一人なのに、孤独じゃない。
誰とも関わっていないのに、人の気配に包まれている。
この矛盾した環境が、眠れない夜にはちょうどいい。
だから、これは逃避じゃない。
これは依存でもない。
これは甘えでもない。
夜に飲み込まれそうな自分を、いったん現実に戻すための儀式だ。
マインドフルネスが「今ここ」に意識を戻すことだとするなら、深夜のコンビニはかなり強いと思う。
なぜなら、そこには強制的に「今」があるから。
棚の商品。
白い光。
冷たい床。
自動ドアの音。
知らない人の足音。
レジ袋の音。
外の湿った空気。
頭の中の地獄から、体の感覚に戻してくれる。
深夜のコンビニは、悟りの場所じゃない。
癒しの場所でもない。
人生を変えてくれる場所でもない。
でも、孤独で壊れそうな夜に、
ほんの少しだけ呼吸を戻してくれる場所ではある。
シンプルフレーズ流に言うなら
一人で自分を見つめられない夜は、
触れない他人のいる場所へ行けばいい。
孤独だけど、孤立じゃない。
一人だけど、世界からは切り離されていない。
それを思い出すために、
眠れない夜こそ、深夜のコンビニをガチるんだ。


