マインドフルネスって、世界や社会から離れて隔離されて自分だけの時間に気付いて、
自分の細かな変化や感情や何かに気が付くための瞬間を知るための時間なんだろうね。
今この瞬間を、ちょっと変な自分で楽しむ
マインドフルネスって言うと、
瞑想して、呼吸に集中して、今ここに意識を向ける。
そんなイメージがある。
もちろん、それも大切なんだろう・・・?
でも、私は思うんだ。
本来のマインドフルネスって、もっと日常の中にあるんじゃないか?
もっと言えば、
ちょっと狂気との境目にあるくらいが、ちょうどいいんじゃないかと思っている
レトルトカレーに話しかける夜
たとえば、レトルトカレー・・・
普通に食べたら、ただの飯だ。
皿に出して、動画を見ながら食べて、
気付いたらなくなっている。
腹は満たされる。
でも、何とも味気ない。
そこで、あえて言ってみる。
「ふふふw今日は貴様を食べてやる」
うん。
誰かに見られたら終わりだ。
「大丈夫?」って言われる。
異常者か、寂しい人か、疲れている人に見えるかもしれない。
でも、最高じゃないか(笑)🤪
その瞬間、ただのレトルトカレーが、
今日の相手になる。
食事が作業じゃなくなる。
部屋が舞台になる。
自分が、演出する側になる。
見られたら終わりかもしれないけれど、自分だけの一人だけの孤独な夜なんだ。
自由に演出しようじゃないか(笑)
今を大切にするって、綺麗なことだけじゃない
「今この瞬間を大切にする」って、
なんだか綺麗な言葉に聞こえる。
でも、実際はもっと変でいい。
一人でグラスに目を落とす。
ビールの泡だけを掬ってみる。
ウイスキーに塩を一つまみ入れてみる。
買ってきた氷をグラスに入れて、音を聞いてみる。
特別な準備なんていらない。
特別な肴もいらない。
音楽だって、いつものでいい。
ただ、普段通りの中に、
普段通りじゃない目線を入れる。
それだけで、日常は少し変わると思うんだ。
ほんの少しの変化で、それは普段の日常から、異常に変わって、日常以上に変わっていく。
享受するだけでは、まだ足りない
動画を見る。
音楽を聞く。
酒を飲む。
飯を食べる。
それも楽しい。
それも必要だと思う。
でも、それだけだと、ずっと受け手なんだよね。
見る側。
聞く側。
言われる側。
使われる側。
流される側。
社会では、だいたいそうだ。
だからこそ、自分の部屋くらい、
自分の夜くらい、
自分の一杯くらい、
自分で演出していいと思うんだ。
娯楽を享受するだけじゃなく、
娯楽を自分で作る。
それが、シンプルフレーズ式のマインドフルネスだ。
旅行が特別なのは、自分で演出しているから
旅行が特別に感じるのも、
きっと同じことなんだと思う。
行き先が特別だからだけじゃない。
自分で調べて、
計画して、
準備して、
今日はここを楽しむって決めている。
だから、非日常になる。
だったら、普通の夜だって同じだ。
眠れない夜。
疲れた夜。
一人の夜。
いつもの部屋。
いつもの酒。
いつもの飯。
それでも、少しだけ演出すればいい。
今日は、この一杯を見る。
今日は、このカレーを相手にする。
今日は、この夜をただの消費で終わらせない。
そう決めた瞬間に、
日常はちょっとだけ非日常になる。
変な自分で、今を楽しめばいい
バカと天才は紙一重と言う。
なら、日常を楽しむために、
少しバカになったっていいじゃないか?
レトルトカレーに話しかける。
グラスをじっと見る。
買った氷をありがたがる。
一人飲みをガチる。
誰かに見せるためじゃない。
誰かに褒められるためでもない。
自分が、自分の今を楽しむためだ。
マインドフルネスって、
世間に見せられる綺麗な自分になることじゃないと思う。
誰にも見せられない変な自分で、
この一瞬を面白がること。
それこそが、今を大切にするってことなんじゃないか?
シンプルフレーズ
一人飲みをガチれ。
レトルトカレーを敵にしろ。
眠れない夜を舞台にしろ。
日常を非日常に変えるのは、
高級な何かじゃない。
自分の世界を、自分で作り上げて、
切り取って、楽しむことなんだ。



